今日の土曜日、朝7時から午前中はファーム町田店のスタッフに入って、午後から早稲田駅近くの「国境なき医師団」の日本事務局で行われた、支援者向けの活動報告会に参加した。
内容は、
助産師の海外派遣スタッフによる「シリア国境における母子保健プロジェクト」
事務局スタッフの「中東の要・ヨルダンの戦傷外科プロジェクトを訪ねて」
医師など5人によるパネルディスカッション「中東における医療アクセスの現状と国境なき医師団の果たす役割」
「国境なき医師団」という名前は知っていたし、大まかな活動イメージは持っていたが、実際の具体的内容を知らなかった僕には、実に、刺激的な報告内容だった。
複雑な中東情勢の下、紛争に巻き込まれて負傷した人々や、難民として移動する人たちの医療など、身の危険と隣り合わせの活動報告だった。
ひとりの外科医の女性は「国の境目が、生死の境目になってはならない」という言葉が、自分の海外派遣スタッフになった動機だと語り、麻酔科医の男性は「そこでの医療行為で、自分は医師としての原点に立ち返らされる」と言っていたのが印象的だった。
報告会後の海外派遣スタッフの医師たちを囲んでの懇談会では、より深い話や、現地での葛藤なども含めた心境なども聞くことが出来た。
医療設備や医療器具の不足だけでなく、文化や宗教で医療行為が思うようにできない実態。
紛争がある限り、医療を必要とする人々がいるという現実。
人身売買的な要素で移動する難民と知りながら、純粋に医療だけの行為で、それ以上の詮索をできないジレンマ。
さらに、日本で医師としての立場と、海外派遣スタッフとしての活動が両立しにくい現実。
いろいろと聞かせてもらった。
そんなことを話してくれた助産師の彼女だが、
「日本の病院で働いていたときよりも、収入は格段に少ないけれど、やり甲斐は格段にあります。それだけで続けているようなものです。」
「器具もない、何もないから、頼れるのは、知恵と勇気だけです。器具が10セットしかないのにそれ以上の分娩があったら、器具を洗っている暇がないので、あとは、ハサミと糸があれば、へその緒は処置できると腹を据えて、何とかするしかないんです。」
そんなことを、明るく語っていた。
この「国境なき医師団」にかかわっている日本人医師は約80名程度だということ。
意外に少ないのに驚いた。
そして、一度の派遣経験でやめる人が60%という。その厳しい現実にも驚いた。