文庫・笹本稜平著『その峰の彼方』を読む

 著者の笹本稜平は、警察小説や国際謀略小説なども書いているが、僕は彼の山岳小説だけを追いかけている。
 最初に読んだのが『春を背負って』だった。
 それに感動して、『還るべき場所』『未踏峰』『南極風』などを読んだ。
 山岳小説をこれほど臨場感あふれて、そして専門的に、さらにリアルに、どうして書けるのだろうかと、感動しながら毎回読み進めている。
 今回は『その峰の彼方』が文庫化されたので、早速、買った。
         
 この小説の舞台は、アラスカのマッキンリー。先住民は、「大いなる者」を意味する「デナリ」と呼んでいるらしい。
 標高は6194メートルだが、北極圏に近い高緯度と独立峰という特異な性格と、地球の自転の影響により低緯度の山と比べて気圧が低く、酸素分圧ではヒマラヤの7000メートル級に相当するといわれるし、山麓からの高度差はヒマラヤの山々は約3700メートルだが、マッキンリーは優に5500メートルに達し、その点では世界一高い山ということになる。
 また、この山で1984年に植村直己、89年に山田昇と、2人の有名な日本人登山家が相次いで命を絶っている。
 このように、著者は物語の冒頭で説明して、物語は展開する。
 僕は30代後半に、ヨーロッパ出張の時、アラスカのアンカレッジ経由で(当時は、ヨーロッパ便はアンカレジ経由だった)、オランダのアムステルダム空港に向かう機中で「この山が植村直己さんが還らぬ人となったマッキンリーです。」と説明をうけた記憶がある。
 冒頭の記述に、それを思い出しながら僕は読み進めた。

 この物語は、文庫本にして560頁という長編である。
 山を愛する一人の男が、最難関である厳冬の未踏ルートに単身挑み、消息を絶つ。
 大学時代からの友人をはじめとして結成された捜索隊は、決死の救出登攀をする。
 彼は、愛する妻もいて、子供をも身籠もっている。アラスカを舞台にした先住民の生活安定のためのホテル建設という大きなビジネスプランも進行中だ。
 なのになぜ今、彼はこのような無謀なチャレンジを行ったのか。
 物語は最後まで、「人はなぜ山に登るのか?」という永遠の命題を、繰り返し、繰り返し、読者に提示する。

 そして、また、「生きるとは何か?」という問いも投げかける。
 彼は、普段から次の様な言葉を発していたと妻は語る。
 「自分が何者なのか知りたかった――。ただ大人しく時の流れというベルトコンベアに乗っていれば、生まれてから死ぬまでとくに悩む必要も辛い目標に向かう必要もない。でも死ぬときになって自分は何者だったんだろうと問いかけたとき、たぶんなんの答えも持ち合わせていない。それでも少しもかまわないのかもしれないけど、自分はそういう人生は送れない。それじゃ生まれてこなかったのと変わりないって。」(373頁)
 こんな問いを求めながら、マッキンリーの頂で彼が見つけたものは何か。
 最終部分に、低体温症と高度障害の中で彼が掴んだものを、このように記述している。
 「心のなかにも言葉というものが浮かばない。宇宙の静寂が浸透してきて、自分とのあいだの境界を融かしていくような、不思議な感覚に押し包まれる。
 南峰の頂にたどり着き、くずおれるように雪上に座り込んだ。突然涙が溢れ出た。
 なに一つ自分はなくしていなかった。開いた掌に全宇宙が載っているように、求めたものはすべてここにあったのだ。
 そして了解した。山も雪も雲の岩も風も、すべてが自分の一部であり、自分もまたそれらの一部なのだと。果てもないほど大きな、底知れぬほど深い知恵によって生かされている存在なのだと──。」(547〜578頁)


 笹本稜平の小説は、実に哲学的問いの物語である。