笹本稜平著 『 分水嶺 』を読む

 僕は、笹本稜平の本は、『春を背負って』『還るべき場所』『未踏峰』『南極風』『その峰の彼方』など、山岳小説を中心に読んで、そのたびに感動している。
 今回読んだ『分水嶺』も、山岳小説だと思って読み始めた。
 しかし、この本は、山岳物語にプラスされて刑事物語の色彩の強い内容だった。
 だからといって、決して僕の期待を裏切った訳ではなく、自然に対しての人間のあり方、付き合い方、自然の中で生きる動物たちへの深い愛情を、全編を通して語りながら、物語の展開にハラハラドキドキさせられ、引きずり込み、十分に楽しませてくれた小説だった。
       
 舞台は、北海道の大雪山
 明治時代に絶滅したとされるエゾオオカミの存在を求めて、繰り広げられる内容。
 主人公の風間は、広告カメラマンから父の遺志を継いで、山岳写真を撮影するために東大雪山に行く。
 そこで風間は、エゾオオカミを見たと言う田沢に出会う。
 田沢は、10年前に殺人罪で服役していた男であるが、大雪山で父と親しくしていたことを知る。
 父と風間の交流の真意を探りながら付き合うのだが、徐々に田沢の人生観に共鳴し、父の生き方にまで重ね合わせて、田沢を巡る事件にいつしか巻きこまれていく。
 自然を破壊する開発計画、エゾオオカミの存在、10年前の殺人事件の真相、所轄刑事の私怨、さまざまな人物が交錯して、物語は展開する。
 そして、クライマックスでは吹雪の山中でオオカミが姿を現す。
 オオカミは、雪崩で遭難した田沢のもとへ風間たちを案内し姿を消す。
 オオカミは、人を襲う怖い野生動物というイメージだが、アイヌ民族が森の神(カムイ)と言うように、決して人間に危害を加えるものでなく、道に迷うと道案内をして、人間を助けるカムイであることを描いて物語は終わる。
 イヌはオオカミが飼い馴らされて家畜化したものと考えられているが、終盤でのオオカミと人間との魂の通じ合うDNAは、イヌの忠誠心に脈々と流れているものだということを感じさせる。
 大雪山の山奥の大自然が、いまも生息し続けているエゾオオカミを守り続けている。
 人間などの計り知れない大自然のそんなロマンを描いた笹本稜平の小説である。