夢枕獏の『神々の山嶺』を読み終える

 今日の東京は、昨日とは打って変わって、襟を立てたくなるような冷たい気温。
 それでも、高田馬場駅前広場のハナミズキは咲き出していた。
      
      
       


◇文庫・夢枕獏著『神々の山嶺
 先日、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』を観たので、その原作の文庫・夢枕獏著『神々の山嶺』を読んだ。
 この小説は、柴田錬三郎賞を受賞した長編山岳小説である。
         
 (上)(下)を読み終わって、映画の限界というか、映画でもエヴェレスト登攀の迫力には十分感動したが、この長編山岳小説で著者が書きたかったことを、映画という時間の制約もあるだろうが、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』では、十分に映像で描ききれていないと思った。
 映画では、とにかく、エヴェレスト登頂の過酷な自然との闘いが、臨場感あふれる内容で強調され、原作では創作素材として重要なテーマになっているジョージ・マロリー(実在するイギリス人登山家)の、1924年にエヴェレスト初登頂をしたかどうかという「エヴェレスト登山史上最大の謎」を解き明かすミステリーな部分や、さらに「なぜ山に登るのか」という永遠に問われ続けているテーマが、通り一遍的になってしまっている。
 そんな意味では、映画でエヴェレスト登攀の迫力と臨場感に感動し、原作で、さらに、それを成し遂げようとする男たちの挑戦する心情や姿、その男たちを取り囲む人々との人間模様に引き込まれ、映画では得られなかったストリーの展開に改めて感動した。

 この長編の小説が、山岳小説としてどれほどのものかは、著者の「あとがき」を読めば、一目瞭然だ。

《たった今、『神々の山領』を書き終えたばかりである。書き出してから、書き終えるまで、三年以上もかかった。
 この話を書こうと思ってからは、およそ二十年近くが過ぎている。
 原稿用紙およそ千七百枚。》


 このように書いて、さらに

《書き終わって、体内に残っているものは、もう、ない。
 全部、書いた。  
 全部、吐き出した。  
 力およばずといったところも、ない。
 全てに力がおよんでいる。  
 十歳の時から、山に登って体内に溜め込んできたものが、全部出てしまった。
 それも、正面から、たたきつけるようにまっとうな山の話を書いた。
 変化球の山の話ではない。  
 直球。力いっぱい根限りのストレート。   
 もう、山の話は、二度と書けないだろう。  
 これが、最初で最後だ。  
 それだけのものを書いてしまったのである。  
 これだけの山岳小説は、もう、おそらく出ないであろう。》
 
 このように著者本人が書いている。
 それだけ著者が全力投球で書き上げた作品であり、とにかく読み応えのある山岳小説となっている。



ハナミズキ
 この木は、北アメリカが原産。
 1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカ合衆国ワシントンへ桜(ソメイヨシノ)を贈った。その返礼に1915年に日本に贈られた。