町田市に生まれた詩人・八木重吉

 僕が住む東京都町田市に生まれて、29歳という短い生涯ながら「透明な結晶体のような純粋な光を放ち、多くの人々の心に響き、今なお読み継がれて」いる詩人がいる。
 八木重吉である。
 我が家から町田街道を八王子方面に車で約20分ほど行くと、「八木重吉記念館」という小さな立て看板がある。
 そこが、彼の生家だった所なのだが、一度、寄ってみようと思いながら、行っていない。
 その八木重吉の展覧会が、「町田市民文学館ことばらんど」で開館10周年記念八木重吉 ─さいわいの詩人─ 展』として現在催されている。
       

 入館して2階の展示室に上がると踊り場の壁にも八木の有名な詩が大文字で飾られていた。
       
       

 展示室入り口には、最愛の妻と娘と一緒に写っている写真入りの案内が・・・。
       
       

 展示室に入ると、先ず目についたのが・・・
       
        『序』
      私は、友が無くては、耐えられぬのです。
      しかし、私には、ありません。
      この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
      そして、私を、あなたの友にしてください。
                   「秋の瞳」


 これは、八木が生前唯一となった詩集『秋の瞳』の冒頭の詩である。
 そして、先ほど、階段の踊り場を飾ってあった詩も壁に展示してあった。


        『ふるさとの川』
      ふるさとの川よ
      ふるさとの川よ
      よい音をたててながれてゐるだろう
                「貧しき信徒」


 八木は、現在の町田市相原の生まれである。この川は「境川」だろうかと思う。
 八木が本格的に詩作に打ち込んだのは、結婚から亡くなるまでの約5年と言われている。
 その間に3000編に及ぶ詩を作っている。
 展示室には、日記ノートや妻との往復書簡、数多くの手作り詩集などが、展示してあった。
 壁に大きく展示してあった短歌や詩の中から2点を紹介する。


 『日記』収録の、八木が教員時代に詠った短歌。


     あまりにもうるおいしらぬ教へ子の
               ひとみにけふもかほをそむけし 


     なにごともにやにやわらひ用のすむ
               教員といふは人のくずかや


 没後に刊行された『貧しき信徒』に収録されている詩。


       『母をおもう』
     けしきが
     あかるくなってきた
     母をつれて
     てくてくあるきたくなった
     母はきっと
     重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう


 あまり知られていない詩人であるが、このような純粋な詩を残した詩人が、わが町・町田にいたのだ。
 館内1階ロビーに、町田市で生まれたか居住した、町田市ゆかりの文学者の写真が展示してあるのだが、遠藤周作や白州正子と並んで八木重吉の写真も飾られている。