群馬県のヤマギシの村・榛名実顕地の近くに、大河ドラマ『真田丸』で有名になった、真田家ゆかりの岩櫃城跡があると聞いたので、昨日、鶏移動作業の空き時間を利用して行ってみた。
JR吾妻線の群馬原町駅の近く、国道145号線の「岩櫃山・岩櫃城跡入口」という案内板を見つけて、車1台通るのがやっとという場所もある道を走ること5分程、真田の家紋「六文銭」で飾られた真新しい案内所があった。
車はここまでだ。
ここに車を止めて「岩櫃城本丸跡500m」と表示されていたので、小雨降る中を歩きだす。
かなりキツイ上り坂を、空堀跡などを横目にしながら登る。
約20分で本丸跡に到着。
この岩櫃城の本丸は、標高594m。
今回登ったのは、下の写真、左からイチカワさん、イケダさん、カワハラさん、ナカニワさんと、シャッターを切っている僕の5人。平均年齢65歳。
出発点の案内所に戻ってきたら、オジサンがガイドマップを渡してくれた。
そのオジサン曰く。
「大河ドラマが始まったら、ここも観光地だよ。昨日なんか観光バスが2台も上がってきたんだ。」
「この案内所も3月に完成したんだよ。それまでは朽ちかけたトイレだけ。」
「平日だって、30台以上の車が上がってくるよ。すごいねぇ、テレビは・・。」
◇岩櫃城(群馬県吾妻郡)の紹介(http://kojodan.jp/castle/409/)より転載。
岩櫃城は真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた城として知られています。築城時期および築城者については諸説ありますが、1405年(応永12年)に斎藤憲行が築いたとする説や真田氏による築城だとする説もあります。沼田城が真田氏に攻略したのちは、その支城として扱われました。織田信長による甲州征伐の際、昌幸は武田勝頼に新府城から岩櫃城に逃るよう奨めたものの、勝頼が小山田信茂の岩殿城へ逃げることを選んだため武田氏は滅亡しました。その後、真田氏は豊臣秀吉や徳川家康に従属して大名として生き延び、岩櫃城も存続しましたが、幕府よる一国一城令により廃城となりました。