2月の26日のおしゃべり

◇今日は「2・26事件」から80年なのだという
 旧日本陸軍青年将校らが、首相官邸や要人官舎などを襲った昭和史最大のクーデター「2・26事件」から、今年で80年の日。
 僕たちが写真などで見る1936年(昭和11年)のこの日は雪模様である。
 しかし、実際は3日前に東京に大雪が降り、その積雪が残った中での事件だった。
 80年後の今日の東京も、雪こそないが冷たい空気が肌を刺す、寒い一日だった。

 文藝春秋3月号に、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの『2・26事件 娘の八十年』というインタビュー記事が載っている。
        
 渡辺和子さんは、事件で死亡した渡辺錠太觔教育総監の襲撃現場にいた末娘である。
 このインタビューでは、事件当時のこと、軍人でありながら知性派として生きた父親の人間像など、父への想い出を語り、さらに事件後、長年にわたる青年将校たち遺族へ対する思い、50年経った時に作家の澤地久枝さんなどに背中を押されて、青年将校が眠るお寺にお参りして、遺族に会った時の心境、そして現在、学生達に接しながら感じている思い、などなどを語っている。
 実に、読み応えのあるインタビュー記事だったし、「2・26事件」とは何だったのか、と、考えさせられる内容だった。

 例えば、青年将校等が襲撃の時に、父親と一緒に寝ていた居間の座卓の陰での目撃を、次の様に語っている。
『その時、部屋のふすまが細く開いて、軽機関銃の銃身が顔を覗かせたと思うと、まもなくタタタタタッと銃声が響きわたりました。まず父の足を狙って撃ってきたのです。「ああ、逃がさないためだな」と思ったときには、血や肉片が壁や天井にまで飛び散り、父の片足は一瞬にしてほとんどなくなりました。』『彼らは父に銃を連射したあと、剣でとどめを刺して引きあげました。父はドイツ留学中、大会で優勝するほどの銃の名手でしたが、誰の命も奪いませんでした。父ひとりが死んだのです。』
 小学校3年生、9歳の時の体験をこのように鮮明に語っている。
 そして、陸軍でも「文学博士」と呼ばれるほど本が好きで、給料の半分を丸善の支払いに使ってしまったという逸話があるほどの知性派軍人の父を『父がいたらあんなムチャクチャな戦争などやるはずがないと思うことを唯一の慰めにしております。』と語る。

 また、渡辺和子さんは、累計200万部のベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者でもある。(残念ながら僕はまだ読んでいない)
『私が自分の本を読んでもらいたいと思ったのは、社会でうまく行かず打ちひしがれている人、誰からも大事にされていないと思っている人、会社をやめようと思っている人たちでした。私がそういう人にお伝えしたいのは、自分が変わらなければ何も変わらない。誰かに咲かせてもらえると思ったら間違いで、自分が置かれた場所で咲かなきゃいけないと気付かなければダメよということなのです。』と語っている。



◇我が家の和室居間にも雛飾りが鎮座する
 ロビーの文化展コーナーには、今月の初めから男雛と女雛のお内裏様が飾られていたのだが、昨夜から、和室居間に「ちょっと遅れちゃったけどね」と、本格的な雛飾りが飾られた。