昨日までの残暑も一段落。
今日は、昨日とは打って変わって、やっと秋のような気温。
午前中はファーム町田店のスタッフ。
午後は、読書をしたり、撮っておいたビデオを観たり、中継があった「横浜ベイスターズVS巨人」戦をTV観戦したり、のんびり・・・。
◇夏の名残り
散歩して目に付いた「ひまわり」に、夏の名残りを感じる。
畑の「オクラ」の花。
この花は「世界で一番美しい野菜の花」なのだそうだ。
◇内田樹さんの言葉
フランス文学者であり武道家(合気道)の内田樹さん。
著書を読むたびに、いろいろと気づかされること、教えられることが多々ある。
今日は、今月刊行された朝日新書で、内田樹さんと岩田健太郎さんの対談本『コロナに生きる』を読んだ。
その中で、内田さんがアメリカについて論じている2つのことについて、僕は興味を持ったので、ここに抜粋して紹介したい。
*その1
・ディベートについて(本書P134)
──アメリカ人はディベートをしますけれど、その目的はお互いの意見をすり合わせて、それぞれの意見をともに包括できるようなよりスケールの大きな仮説を形成するということでなくて、自説を譲らず、相手を打ち負かすことです。だから、いくらディベートしても、そこで得られる知見が最初に「正解」を語った人間の知性の上限を超えることはない。せっかく時間を使って議論したのに、最終的に手に入れる知見が、「最初からあったもの」ではもったいないなと思うんです。それよりは、議論する前に「もしかすると、あなたの言うことにも一理あるような気もする」ということを双方受け入れて、正否の判断をしばらく「棚上げ」して、それぞれの仮説を並行的に走らせて、時間をかけてその帰結を見るということをしたほうが生産的じゃないかと思うんです。──
まさに、僕たちが日常的に「その時の最善最高」のものを見出すときに行っている「研鑽」という話し合いの態度ではないか。
*その2
・銃規制について(本書P135)
──アメリカで銃規制が進まないのは、市民に「武装権」「革命権」が認められているからです。アメリカ憲法には「陸軍の常備軍をもってはいけない」という規定があります。独立戦争でイギリス軍と戦った経験から出て来た思想です。常備軍はたやすく時の権力者の私兵となって、市民を弾圧するリスクがある。そのことをアメリカの建国者たちは身を以て味わった。だから、自由人の国に常備軍はいらないと考えた。何か国難的状況に遭遇したら、市民たちが銃を手に「民兵(ミリシア)」として集まり、臨時に軍を編制して戦う。それをデフォルトにした。だから、すべての市民は招集がかかれば、いつでも戦えるように手元に銃を置いた。独立戦争も南北戦争も市民たちはそうやって戦って、そうやって勝った。武装する市民というのは輝かしい成功体験の裏付けがある。だから、銃規制が進まない。
本気で銃規制をするなら、つまり国難的状況に際しても、これからはもう武装した市民を当てにしないということを明言するなら、それと同時に憲法八条十二項の「陸軍の常備軍を置かない」という条項を廃して、「常備軍を持つ」と改定しなければならない。でも、それをすると武装した市民たちが圧政に抵抗して建国したというアメリカ合衆国の根本理念を否定することになる。(実際は世界最大の軍隊をもっているという、現実と憲法の乖離という矛盾を抱えている)──
僕は、「たびたび銃乱射事件がありながらどうして?」と日ごろ思っていたが、このような理念から来ているのかと驚く。