社会学者・見田宗介さんの記事

 今日の朝日新聞朝刊「オピニオン」ページに、社会学者の見田宗介さんのインタビュー記事『歴史の巨大な曲がり角』が載っていた。
 それについて、少しふれてみたい。


◇冒頭のリード文では、次の様に見田さんの論点を紹介している。
 深刻な環境問題を抱えつつも、経済成長を求め続ける─。私たちの文明が直面する根本的なジレンマに対して、日本を代表する社会学者・見田宗介さんは「ならば成長をやめればよい」と明快に答える。しかも、そうすれば今よりもずっと幸福な社会が訪れる、とも。一体、どういうことだろうか。
       


◇見田さんは、生まれた年代ごとに明確に違う意識があった「世代」というものが、歴史の流れがスローダウンしてきた現在は「消滅しつつある」と分析し、その「世代」の消滅に伴って、人々の『経済成長のための合理性を最優先する』という価値観が解体しつつあると言い、さらに、地球という有限な環境に生きる人類も、爆発的な成長期から、その限界に近づきスローダウンし、安定した均衡状態になりつつあるが、それは決して暗いことではないと述べる。
 成長しない社会に、明るい可能性を持てないのは『成長=最高』という近代の価値観に囚われすぎているからで、原始に帰るのではなく、近代の成果を十分に踏まえた上で、高められた地平を安定して持続する『高原(プラトー)』というコンセプトで、その可能性を見つめている。

◇そして見田さんは、紀元前6世紀から紀元1世紀にかけての古代ギリシャが、貨幣経済による交易と都市化が進み、村落共同体の有限な空間に生きていた人々が、世界の無限の広がりを初めて実感した時期に、哲学や世界宗教(仏教、儒教キリスト教など)が生まれた、近代に至る文明の始動期だったとして、
 「今、私たちは、人間の生きる世界が地球という有限な空間と時間に限られているという真実に、再び直面しています。この現実を直視し、人間の歴史の第二の曲がり角をのりきるため、生きる価値観と社会のシステムを確立するという仕事は、700年とは言いませんが、100年くらいはかかると思います。けれどもそれは、新しい高原の見晴らしを切り開くという、わくわくする宿題であると思います。」と、
 このように、現在、我々が直面している歴史の曲がり角を、明るい展望としてとらえている。



◇もう一つ、蛇足になるが、僕が気に止めた箇所を記しておく。
 見田さんが終戦を迎えたのは7歳の時だったそうだ。
 「当時はみんな『日本が降伏したら地獄だ』と思っていた。だけど、現実には戦争中よりもはるかに明るい自由な社会が来た。(中略)やめればそこから解放されるのに、やめることを何より恐れていた。一つの社会の内部にいると想像力が限定され、別の可能性に思い至らないのです。」
 この見田さんの言葉は、現状から脱したものの見方、あるいは自分の守備範囲からの思考でないものの見方で、新たな可能性を見出そうと、最近、研鑽を重ねている僕達への励ましのメッセージのようにも僕は感じた。