2週間ほど前に、映画作りに情熱を傾けている知人の大澤一生君から、彼がプロデュースしたドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品』の試写会招待ハガキが届いた。
ハガキには
死後50年を経て姿を現したフリーダ・カーロの遺品
写真家・石内都のまなざしは、画家であった“ひとりの女性”の姿を写しだす
時空を超えて2人の女性が交差する、「記録」と「記憶」を巡るドキュメンタリー
と書かれていた。
「画家・フリーダ・カーロ」 僕は全く知らなかった。
小さな文字で次の様に書かれている。
─ メキシコを代表する女性画家、フリーダ・カーロ。画家としての業績だけでなく、身体の不自由やメキシコ近代化の荒波に翻弄されつつも、ひとりの女性として力強く生きたその人生は、現在でも世界中の人々の共感を呼んでいる。
2004年。死後50年を経て、彼女の遺品が封印を解かれた。2012年、メキシコ人のキュレーターの発案によりその遺品を撮影するプロジェクトが立ち上がり、依頼を受けたのが世界的な写真家・石内都。メキシコシティにあるフリーダ・カーロ博物館《青の家》を訪れた石内の前に、フリーダのアイデンティティを支えた伝統衣装やアクセサリー、絶え間ない身体の痛みを想起させるコルセットや医薬品等、膨大な数の遺品が一つ一つ並べられていく。それは喜びや誇りとともに様々な“痛み”を抱えながらフリーダが生きていた証であると同時に、彼女の記憶をも内包しているようだった。生きることそのものを描き続けた画家、フリーダ・カーロ。彼女の遺品を見つめ、撮影した石内都の写真には何が写ったのだろうか。─
監督・撮影は小谷忠典氏で、石内都さんの3週間に渡る撮影過程に密着取材と書かれている。
まあ、観てみないことには分からない。
そう思って、せっかくの大澤君からの招待だしと、今日の夜、京橋テアトル試写室に出かけた。
地下鉄・京橋駅で降りて、少々探したらビルの地下に京橋テアトルはあった。
エレベーターで地下に下りると、客席は50席ほどの会場で、補助椅子を出すほどの満席。
大澤君の司会で監督の小谷氏が挨拶して上映開始。
約90分のドキュメンタリー作品だった。
まだ、詳しく感想を書けるほど、僕の中で熟成されていないが、
一口で言ったら、カメラマンの石内郁さんが、画家のフリーダ・カーロの遺品を撮影するドキュメンタリーなのだが、撮影が単に撮影でなく、死者となったフリーダ・カーロの生きた日常の痕跡を、その写真に写し出すといった、観る側にも極めて感性レベルの高さを要求される作品だった。
さらに、メキシコの風土、民族性を見つめ、日本のお盆にあたる「死者の日」の陽気なまつり的風習や、親から子へ受け継がれている刺繍を施した独特の民族衣装などを紹介しながら、生とは何か、死とは何かと、その生死観を問うている作品だと僕は感じた。
会場を後にする時に、暫くぶりに大澤君と言葉を交わして、招待のお礼を言って別れた。