町永俊雄著『ワニの腕立て伏せ』を読む

 著者の町永俊雄さんは、元NHKアナウンサーで経済、暮らし、教育、福祉などの情報番組を担当していて、現在は福祉ジャーナリストとして、高齢者や共生社会のあり方について執筆したり講演活動をしている人なのだ。
           
 本書を僕なりに要約すると、  
 戦後日本が奇跡的な経済成長を果たした経済原理、経済優先の社会構造のなかでは、「生産性と効率性」で人を測るという価値観があり、それが行動基準にも置き換えられて、社会が成り立ってきた。
 そのような社会構造での「福祉」は、支援する人(側)、支援される人(側)という社会制度をもととして語られ制度化されてきたが、これからは、その「支援と被支援」という二項概念からの「福祉」を脱却して、フラットで人間的な繋がり、日常の暮らしの中にこそある「福祉力」で、共生をベースとした「超高齢化社会モデル」を構築して、世界に類をみない高齢化社会である日本であるからこそ、これからの社会として世界に発信しようと私達に投げかけている。

 その具体的糸口として、現在、大きな社会的関心事となっている「認知症」を取り上げて、著者は ─ この「誰でもが認知症になりうる」社会を不可避の、所与の社会として受け止め、そこから新たな「社会」のあり様を構築していくことが求められている ─ と、「認知症を時代の真ん中に」据えて「認知症が拓く新時代」を考察している。
 それを、35のエッセイ風物語と5つのコラムで、これからの社会づくりのベースとするべき視点を、わかりやすく論じているのだ。
 一見、気楽なタッチで書かれてはいるが、これからの社会を考える上で、見逃してはならない視点なのかも知れない。
 そんな意味でも、また認知症の認識という意味でも、一読に値する書であることは確かだ。

 本書に載っている物語で、あえて1つだけ紹介するとしたら、僕は『座敷わらしと認知症』を、興味を持った内容の1つとして、ここにあげてみたい。
 一言で認知症と言っているが、分類するとアルツハイマー認知症が一番多いが、最近、レビー小体型認知症が「第二の認知症」と言われて注目されているらしい。
 その症状の特徴は、幻視と幻聴なのだという。
 そこで著者は、東北に今も伝わる「座敷わらし」の民話を思い浮かべて、高齢者も含めた暮らし、高齢になることのおおらかな受容があった日常の暮らしに、「福祉の力」があり、福祉の原点がそこにはあったのではないかと述べている。
 一緒に住んでいるお年寄りが、奥まった座敷をみて「ホレ、あそこにワラシコが遊んでいるなス」と言っているのは幻視の症状ではなかったか。
 それを否定や困惑するでなしに「ババ様、ウチにも座敷わらしが来なすったですかなあ」と、周りの人は受け止めていたのだろう。
 著者は「ここに私達が持っていた豊かな風土の反映がある」とみる。
 レビー小体型認知症の人も周囲の人も、同じ生活者として、ことさら「症状」だけをその人から切り出して対応することなく暮らしていたのが、民話となって語り継がれたと推測しているのだ。
 この「高齢者との共生こそが共同体の豊かさであり、また強さであることを誰もが知っていた」のではないかと言う。
 著者は、その事が、これから求められる、何処にでも、誰にでもある「福祉の力」なのだ、と言っていると僕は受け取った。