「寒いね」と話しかければ・・・

 今日の東京は冷たい雨の一日。
     
 先週は、写真のような梅の開花に出会って、春が来た感じがしたのだが、今週はまた寒くなってしまった。
     

 そんな寒い今日の我が家の夕食メニューは「餃子鍋」。
 アツアツの野菜と餃子を食べて、お風呂に入って、ホッとくつろぎながらパソコンに向かっている。
 

◇31字の短歌。
 時間がなくて、目を通さないで積んであった新聞を整理していたら、歌人でもあり愛知淑徳大学学長でもある島田さんが、短歌は「作者と読者のコラボ」というコラムが目にとまった。
 そのコラムで「短歌は31字の短文にすぎないが、そこに含まれる情報量は31字の範囲に収まるものではない。これを作者側からいえば、情報を極限まで省略することである。しかも、わずか31字の表現には省略された情報を復元する手がかりが残されていなければならない。そこに歌人の才や技量がかかっている。」と書いてあった。
 なるほどと思って、「情報を復元する手がかり」という表現が面白いなって思った。
 実は先日もパソコンの操作をトラブって、元データを復元するのに四苦八苦。結局諦めたのを思い出しながら、コラムの続きを読み進めると、
 今度は読者に対して「読者は31字と同時に省略された文脈をも読む必要がある。」と言っている。
 そして「短歌は読者の読みの深浅に依存する厄介な文学だが、読み馴れると作者との共同制作、コラボともいうべき豊かな世界が広がる。」と書いていた。


◇確かにそうだと思う。
 日曜の早朝、早く目が覚めてしまって、NHK短歌などを観ていると、時々、ドキリとしたり、「わかる、わかる・・」と、作者の気持ちがスッと入ってくる歌に出会う。
 だから、僕は短歌は作れないけど、時間が許すときには番組を観る。
 また時々、前に読んだ短歌を、不確かな記憶で思い出して「誰かがこんな気持ちを歌に詠んでいたな」と思うこともあって、あらためて本棚から歌集を取りだして、その短歌を探し出したくなる。
 そして、その短歌に接すると、その時の自分の心情で、また違ったイメージや新鮮な感覚が湧くこともあるから面白い。
 「情報の復元」は、読者としての僕の身勝手な部分もあるのだけれど、そんなことで僕には、付かず離れずの位置に短歌がある。
 「短歌は読者の読みの深浅に依存する厄介な文学」と書いてあったが、読者としての僕の「読みの深浅」には自信がない。


◇春が待ち遠しいこの頃。
 雨の今日、僕はフッとこの歌を思い出した。


      「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ


 ひそかに、若かりし頃、ファンを自認していた俵万智さんの歌だ。
 この歌集も、だいぶ黄ばんできたし、汚れも目立ち、くたびれてきた。