内山節氏の講演を聴いて

 昨日、ブログに書いた哲学者・内山節氏の講演の中で、氏は、村落共同体の中で機能していた日本の伝統的な考えや仕組みに学び、それに新しい視点や技術を融合させたコミュニティづくりを述べていた。
            
 内山氏は、それを「伝統回帰」と言う言葉で提唱し、日本の伝統的な考えや仕組みの事例を紹介していた。
 僕なりの理解ではあると思うが、2つの事例を書き留めておきたい。


◇その1・『意志決定』について
 物事を決めると言うことについて、昔から日本では「多数決」でなく「満場一致」しかなかった。
 たまに「満場一致」が無理なときには、元の状態に戻す。「満場一致」に持っていくために知恵を使う。
 例えば、寄り合いで決めるときには、決まるまで家に帰らないで、途中で食事もするし、仮眠もしながら話し合う。そのうちに暗黙の了解が生まれてくる。
 少数の意見を否定した場合、その人達が「自分達の意見に誤りがあった」と思えればいいが、そういうことはなく、遺恨だけが残るというのを知っていたので、それは回避する。 そのための知恵もいろいろあって、もめそうな事案は信頼のある人が事前に根回ししたり、おおかたの人が「そうだな」という雰囲気になってから正式決定の場を設ける。
 あるいは、決定の場では、信頼されている長老の人などは発言を控えていて、もめたときに、みんなの意向を汲んで調停案を出す。
 「決め方」についても知恵があった。
 何かやるときに、その事に批判的な人もいる。その人はやらなくてもかまわない。常にやりたい人でやる。関心のない人に無理にやらせることはない。先ずは、関心のある人達でやり始められるように、「その人達でやる」という決定でなく、「やりたい人達でやる」という決定をする。
 決定に効率を考えて多数決的な意志決定は、人と人の分断を生むと言うことが分かっていた。
 意志決定にかける時間と、そのプロセスの方にこそ、有効な価値を生むという考えだ。


◇その2・『平等』について
 いまの一般的な「平等」という観念は「平等はみな同じ」というものであるが、これはヨーロッパ近代からきた考え方である。
 日本では「この社会は平等でない」というのを前提にしていた。
 自然を相手に、その中で農業をやっていると、ちょっとした場所の違いなどで、水害にあったり、日当たりが悪かったりで、収穫高に差がでる。
 自然と共に生きていくということ自体が、全員が平等ではあり得ない。
 それ故に、日本の平等観は「不公平は必ず生まれる」というのを前提にして、それを補う「再分配のシステム」を確立するという考え方だ。
 それも、公的な仕組みでなく、人々の自主的なやり方で営まれてきたというのが特徴である。
 例えば、部落のお寺を修繕するとなったら、お金持ちは多めに出して、生活に余裕のない者はあまり出さなくていい。
 そういう暗黙の了解事項があって、社会が成り立っていた。
 あるいは、昭和初期頃の時代には、大学に行かせたいくらい優秀な子供が村にいたら、村の中の金持ちがお金を出して、大学に行かせるようなこともあった。
 そのように、不平等を再配分システムで補っていたのが、日本の伝統的な考え方だった。
 だからといって「再配分」に応じない金持ちがいたとしても、それはそれでいい。誰からも罰せられることはないが、その部落の中での発言力は低下した。
 なんでも均等に、出したり受け取ることが平等という考えでなく、出せる者が出すというやり方で、結果的平等の社会が成り立ってきた。


 ◇内山節氏は、「ぼくは、昔に返れ、昔の生活に戻れというのではない。」と前置きして、このような、日本の伝統的な考えを回帰して、それに新しい視点と技術を融合させてのコミュニティ・社会づくりを提唱している。