村上春樹の新刊『色彩を持たない・・・』

◇出版社の販売戦略と知りつつ
 それに乗って発売日に買ってしまった村上春樹の新刊色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
          
 ゆっくりと読み進めようと思ってページをめくりだしたら、結局は村上ワールドに引き込まれて、就寝前のブログ記載も棚上げして読んでしまった。
 そして、今朝と今夕の通勤電車では、牛が飲み込んだ物を反芻するように、もう一度最初からページをめくり直して、読後感を味わっている。
 今後、この新刊に対して、どんな批評が出てくるのかは知らないが、やっぱり村上春樹だなあっていうか、さすが村上春樹だというか、現代社会の中で自分の存在に自信が持てない若者が、生きるとは何かと模索している心理を描いていると感じた。
 今はまだ、反芻と咀嚼中なので、まとまりがないが思いつくまま記してみたい。


◇物語について
 これから読む人の邪魔をしたくはないが、ちょっとだけ内容に触れると、
 タイトルにもある主人公は、〝多崎つくる〟。
 多崎つくるには、高校時代の仲良し五人組(乱れなく調和する共同体みたいな)の一員だ。
 そのメンバーは、赤松と青海という男性、白根と黒埜という女性と、それぞれに名前に色が含まれていて、あだ名は「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」。多崎つくるの名前には色がなく「つくる」と呼ばれて、彼は違和感を持っている。
 大学生になっても多崎つくるにとって、そのグループが心の拠り所であり、帰るべき場所だったのだが、20歳の時に突然に他の4人から拒絶される。
 そのショックで死を考え、死の淵からかろうじて這い上がって、駅舎建設の技術者として社会人になっても、そのトラウマは彼を呪縛し、自分には色彩(個性)がないと感じて、心を寄せる帰る場所もない毎日を過ごす。
 そんな彼が、恋人の勧めで4人に会う決心をして、訪ね歩き、自分が拒絶された真相の謎解きをしながら、心の奥の傷に向き合い、生きる力というか、かろうじて生きる方向を見つけるという物語だ。


◇最後の章の一番最後に
 多崎つくるは「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」と言い、自分が帰るべき生きる希望を見つけた心境を、そんな凝縮された言葉で結び、物語は終わっている。
 それであって、多崎つくるの明日は、不確定要素がいっぱいで、読者に不安を感じさせる結末なので、村上春樹の小説でいつも感じる読後感、「続編を期待してしまう」そんな終わり方だ。


◇この物語でも〝二つの世界〟が
 この物語でも二つの世界が語られる。現実と違うもう一つの世界、
 「それがどんなものだか、口で説明するのは不可能だ。自分で実際に経験してみるしかない。ただひとつ俺に言えるのは、いったんそういう〈真実の情景〉を目にすると、これまで自分が生きてきた世界がおそろしく平べったく見えてしまうということだ。その情景には論理も非論理もない。善も悪もない。すべてひとつに融合している。そして君自身もその融合の一部になる。・・・・」
 こんな記述に出会うと、村上春樹のいうもう一つの世界は「???」と、立ち止まって考えてしまう。
 『1Q84 』では、2つの月だっかが、今回は6本の指を持つ人間。

 しばらくは、村上春樹ワールドの〝反芻〟と〝咀嚼〟が続きそうだ。