村岡さん主宰の研究会に参加する

 新刊『ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点』を著された村岡到さんから、「NPO日本針路研究所」の研究会チラシをいただいていたので、日曜日の午後、後楽園近くの文京区民センターで開催されたその研究会に参加した。
         

 一言で言うなら、僕にとっては、なかなかの刺激的な研究会だった。
 前半は、村岡さんが、「友愛」という言葉がなぜ軽視され使われなくなっているのか、「友愛」がいかにこれからの社会構築において重要かを話された。
 その内容については、案内チラシに書かれている村岡さんの文章に、的確に要約されているので、それを抜粋して紹介したい。
─ 18世紀のフランス革命の標語とされた「自由・平等・友愛」は誰もが知っていますが、日本国憲法では「自由」は数回、「平等」は2回書いてありますが、「友愛」はゼロです。また、日本共産党の綱領では「自由」も「平等」も頻回に出てきますが、「友愛」はゼロです。この事実には何か大きな意味があるのではないかと思います。(中略)
 私は、「友愛」に、「敵」も含む他人を〈友として愛す〉という意味も込めて、〈友愛〉と表現して、高く掲げることが大切だと気づきました。それは、「敵・味方」という関係を突破するために必要なことです。〈平等〉の根底に〈友愛〉を据えることこそが、近代を突破する道なのだと思います。(以下略) ─
         

 村岡さんは話の中で、ヤマギシ会の農業の一端を紹介し、その実践を、ソ連の集団農場・ソフホーズコルホーズと比較して、集団的農業、農地の非私有という共通性がありながら、後者が行き詰まって、ヤマギシの農業が続いているその分岐点について、生産性や利潤追求という側面よりも、農業をしている人の基が「われ、ひとと共に繁栄せん」とする、仲良して暮らすという幸福運動の理念を、ひとり一人が持ってやっているからだと指摘していた。
 後半は質疑に対して、村岡さんの広範囲な事象についての見解が語られ、なかなか興味ある充実した時間だった。
 「働く」ということについても、「資本主義社会の労働を〝疎外された労働〟とした社会主義での従来の考えの、その対極にあるのが〝友愛の労働〟であるのではないか」という提起が印象に残った。
 そしてそれは、私たちがヤマギシズムの理念の中で実践している、賃金や報酬を対価にする〝賃労働〟の否定にこそ、〝友愛の労働〟と言えるものがあるのではないかと思った。