原田マハ著『生きるぼくら』を読む

 『楽園のカンヴァス』で知った原田マハという作家。今回読んだ新刊『生きるぼくら』で、僕はますます原田ファンになってしまったようだ。
 今週の初めに、これと言った目当ての書籍を探すでもなく書店に寄って、目に付いたのが、多くの新刊と一緒に平積みされていた、この本『生きるぼくら』だった。
           

         この、『生きるぼくら』というタイトル。
         そして、作者が原田マハ
         この、素朴で郷愁を感じさせる表紙画。
 僕は直感的というか衝動的に「読んでみたい」と思って、他の新刊と比較することもなく、手に取りレジに向かった。
           

◇一気に読んだ
 とにかく、通勤電車の中で読んでいて、目頭が熱くなり、読み続けることが出来なくなって、だいぶ困った。それでも次が・・・。
 昨夜などは、ブログを書く時間も惜しくなって、深夜まで読書の時間となってしまったくらいだ。


◇内容をちょっとまとめてみると、
 母子家庭で育った主人公は、いじめを受け、ひきこもりの青年。
 ある日突然、母が手紙を置いていなくなる。
 主人公は母の手紙と一緒にあった年賀状の住所を頼りに、子供の頃に父に連れられて行った蓼科で、ひとり暮らしを続けている大好きな祖母を訪ねる。
 そこには、父が再婚した相手の子供で対人恐怖症の若い女性がいる。
 2人とも血縁関係はないが従兄弟同士。
 彼女も大好きなおばあちゃんの年賀状を見て来ていたのだ。
 その大好きなおばあちゃんは、認知症になり、特に対人関係の記憶がなくなっていた。
 そんな2人が、もう今年はやめようと思っていた、おばあちゃんが大切にしていた自然耕法の美味しい米作りに、周りの人に助けられ、励まされながら挑戦する。
 初めての米作りと、認知症のおばあちゃんの言動に戸惑いながらの介護。
 その米作りの中で、稲の成長や秋の稔りの過程から、少しずつ「自分らしさ」と「生きる意欲」を取戻し、成長していく2人。
 引きこもり、ニート、対人恐怖症、認知症と介護、村落の過疎、大学生の就活問題などなど、現代社会の問題を問いながら物語が展開するのだが、2人を蓼科に引き寄せた年賀状の謎解きも含めて、感動と清々しい読後感をプレゼントしてくれる内容だ。
      
◇このタイトルの『生きるぼくら』
 原田マハは物語の展開の中で「自然と、命と、自分たちと。みんな引っくるめて、生きるぼくら。」と登場人物に言わせているのだが、〝自然も人も、生けるものすべて一体〟を言いたかったのだなと、このタイトルの意味するところを納得。


◇稲にも人間にも本能的に備わっている「生きる力」
 就活がままならず「ひょっとすると、自分はこんなふうに地面にへばりついたままで社会の負け組になる」あるいは「狭い部屋の中に閉じこもっていたのは、過酷な社会の中で自分は伸びていけないかもしれない、と感じて怖かった」という、そんな青年が、
 稲作を通して「田んぼで育つ稲のように、自分たちには、空を目指してどんどん伸びていく本能が備わっているはずだ」「自然に備わっている生き物としての本能、その力を信じること。すなわち、生きる力、生きることをやめない力を信じること。」と気付く。
 
◇心の支えになっている「原風景」
 認知症になったおばあちゃんが、ある日突然、いなくなる。
 発見された場所は、おばあちゃんが「悲しいときも、さびしいときも、嬉しいときも。いつもこの場所に来て、自分の人生を振り返ったり、未来を夢見たりしていた。人生という長い川に浮かび上がる大きな泡も小さなあぶくも、この湖は、黙ってすべてを受け止めてくれる。ただ静かで、どこまでも深い包容力に満ちた、一枚の絵のような風景」の場所だった。


 ぜひ、一読をお薦めする一冊である。