社会のテーマが自分のテーマとなるか

 今朝、東京案内所に向かう途中、町田駅でバスを降りたら、降っていた雨が雪混じりの雨になっていた。
 今日の東京はこの季節一番の寒さだった。
 本格的な冬の訪れだ。もうマフラーは離せない。

 昨日と今朝に読んだ新聞で、心に残って切り抜いていた記事がある。
   
 僕自身、一度じっくり噛みしめて考えたいと思っているテーマなので、その一部をここにメモしてみたい。

◇今年3月に東大教授を退職した社会学者・上野千鶴子さんは、今日の紙面「3・11女性の視点」で、
原発立地地域の人たちの多くは安全神話を信じ込まされてきた被害者かもしれませんが、少なくとも私自身は、少なからぬ人たちが原発は危険だと警告しているのを知っていた。なのに、許容はしなくとも反対の声を上げなかった。暗黙の同意を与えていたことになります。福島の人たちより罪が深い。悔いと反省があります。」と述べて、
原発は高度成長期、過疎の立地地域に夢と希望を与えてきました。でも、もう開発と発展の夢から覚める時がきているのではないでしょうか。日本は人口減少期に入りました。ならば縮小・撤退を否定的にとらえず、一つの転機だと考えたらいい。ただ、急ブレーキをかけるのではなくソフトランディングのための知恵と工夫が求められているのだと思います。」と述べている。
*「暗黙の同意」:事故以降、僕もそれは強く感じていることである。無関心という行為が肯定に限りなく近い行為となってしまうことも含めて。
*「縮小・撤退を否定的にとらえず、一つの転機だと考える」:視点をどこに置くか、じっくり考えたいテーマだ。
◇東大名誉教授、国際基督教大学平和研究所顧問の坂本義和さんは、太平洋戦争開戦日の昨日の紙面「3・11と日米開戦70年」で、
グローバル化する格差を、経済成長で解決しようとする政策は、結局、地球環境の破壊を深刻にし、人類の生存を脅かすことになります。成長で格差をなくすという考え方は、必ず限界にぶつかります。どこか生き方を変えなければいけない。物質的な生活水準は下がるかもしれません。そういう時に豊かな生き方をしていくには、考え方、感じ方を変え『みんなが連帯して生きる』という発想に切り替えなければいけない。
 人間らしく生きるために何が必要か、どういう社会や人間関係をつくればいいのかということを、被災地でゼロから考え始めています。日本は震災を経て、お互いに助け合い、市民の共同体をつくることができるのか、人間的な豊かさを生み出すことができるのかがとわれています。それが3・11を経験した日本の課題だと思います。」と述べている。
*僕は、今年の大震災と原発事故は、僕たちに「生き方、価値観、思考回路、観念などの転換」を突きつけたと感じている。
 ここで坂本義和さんが「3・11を経験した日本の課題」と指摘しているテーマを、それを前に、僕自身が、自分自身のテーマとして、それに逃げない思考する「勇気」が、今、求められているのだと思っている。

 2011年、今年もあと20日あまりだ。
 この年がどんな年だったのか、数年が過ぎ去った後に振り返ったら「大きな転換期」だったと、きっと実感するにちがいない。