新聞を読みながら思ったこと

セシウム検出の記事
 今朝の新聞を賑わしているのは、明治の粉ミルクからセシウムが検出された記事。
 国が定めた規制値以下らしいが、埼玉県春日部の工場で3月14日〜20日に製造された時、乾燥のために熱風を当てる際に大気から混入した可能性が高いと書かれている。
 今回も購入者からの指摘で再検査し解ったことだ。
 それと、乾燥に吹き付けた大気からの混入でこの様なことが起こるとしたら、他の食品だって・・・と、みんな思ってしまう。特に子育て中のお母さん達の不安は、これでまた増幅されたことだろう。
 東京都が牛肉の放射性物質検査を来年1月から全頭検査するという記事も、昨日の新聞に載っていた。
 国の規制値が信用されなくなって、自主的安全確認などのニュースが、さらに不安を増幅させる。原発事故以降、みんながもやもやとした、やりきれない気持ちを抱いて生活している。この状況に終止符はあるのだろうか。あるとしたら、その特効薬は何なのだろうか。僕自身も、もやもやしながら毎日、新聞を読んでいる。
       
   

◇「震災文学」が相次いで出版という記事
 朝日新聞の昨日の夕刊に、よしもとばなな著「スウィート・ヒアアフター」と、高橋源一郎著「恋する原発」が紹介されていた。
 「スウィート・ヒアアフター」は、僕も読んでみての感想を先日ブログにアップした。
 もの書きを生業にしている作家も、震災以降、「自分に何ができるか」といらだちながら、何かの糸口を模索しているようだ。
           

 よしもとばななは、
 −−小説の根底にはいつも「人生への肯定」があるという。「生きる希望を書かないと意味がない。希望とはキラキラしたものでなくて、とにかく持ってないと生きられないもの。それを寓話にしていくのが私の仕事だと思っている」−−
 高橋源一郎は、
 −−震災で世界は変わり、誰もが違和感を感じながらもやもやとしている。「見えない変化を言葉にするのが小説家の仕事。今が、出番だ」−−
 2人を紹介している記事が、それぞれ2人のこの様な言葉を載せて結んでいる。
 震災以降、何か大きく社会的価値観の変化を感じながら、それぞれが、それぞれの立場で「自分に何ができるのか」と、自分の無力さを感じつつ、何かを見つけようとしている。
 この現実から逃げないで考え続ける価値。僕も、その価値を大切にしたいと思う。