松尾芭蕉の生きた時代・元禄

 先月、古本市で奥の細道をゆく』という本を買い、カバンの中に常時入れて通勤電車の中などで、気が向くときにページをめくっては、読書を通しての芭蕉との旅を楽しんでいたのだが、昨夜でその旅も終わった。
 この本は、21人の著名人達が「旅人」となり、芭蕉が歩いた旅先で、芭蕉の心情を解釈し語る内容。
           
 『奥の細道』は、松尾芭蕉が46歳の時、いっさいの名利を捨て奥州に旅立った150日・2400キロに及ぶ旅の記である。
 この本の最後の旅人となった詩人・大岡信氏は
−−『奥の細道』は400字詰めの原稿用紙にすると、たぶん50枚はない、40枚ぐらいじゃないかなと思いますね。それが今に至るまで何百年もの間、日本人の旅というものについての観念をほとんど決定づけているところがある。旅をすることによって初めて見えてくる人情の世界、さまざまな土地の美しさ。そういうものを実際に見ないと、全く意味がないんだ、ということを芭蕉ほどはっきり示した人はいない。そういう意味で『奥の細道』はその凝縮された1つのモデルになっているんですね。−−
 と、語っている。
 確かに、ちょっと難しかったが原文表記のところも2、3度読み返してみれば、旅先での出来事、出会った人々との触れあい、未知なる次の目的地に向かう心情などが、短い記述の中に溢れている。そしてまた、21人の「旅人」となった著名人達の芭蕉解釈も、それぞれに味がある内容だった。
         
 芭蕉は、旅が終わって5年ほどしてから、この旅行記を完成させているのだが、冒頭の有名な一節「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」(過ぎて行く時間も、人の一生も、すべては旅のようなもの。流れ移ろい一時もとどまることはない。)という俳人松尾芭蕉の無常観にも、ちょっとは触れられた感じがする。
◇もう一つの僕の驚き
 芭蕉の旅は、元禄2年春に始まり秋に終わっているわけだが、僕が凄いなと思ったのは、各地の旅先で武家や商家の俳句をたしなむ人々に芭蕉は迎えられ旅を続けられたことである。
 この元禄という時代に、俳句というネットワークでこの様に各地を旅できたことが驚きだ。電話やFAX、インターネットもなければ、携帯電話もない元禄の時代にだ。
 いま、震災以降に「絆」などと、人と人との繋がりが注目されているが、相手の都合などお構いなしに訪れた芭蕉は、どこでも温かく迎えられている。
 情報化時代などという言葉さえもなかったこの元禄という時代の、ネットワーク文化の充実といい、俳句という趣味を愛する文化民度の高さといい、僕はそこに驚きを禁じ得ない。
 改めて、元禄という時代を考えてみたくなった。