漆(ウルシ)にまつわる父の思い出を考察する

 山に行くと「漆(ウルシ)」という木がある。
       

 僕が育った福島の田舎の山にも、ウルシの木が所々にあった。
 その「ウルシの木」の幹の表面に切り込みを入れ、染み出す樹液を採取して、天然樹脂塗料として使われるというのは、もちろん大人になってから知ったのだが、ウルシの木の幹や枝はスーッと伸びていて、昔、田舎で育つ子供には魅力的な枝ぶりなのである。
 例えば、僕たち子供の頃は、よく「チャンバラごっこ」という遊びをした。最近はこんな遊びは聞いたことがないが、僕が育ったころは「鞍馬天狗」があったし「赤胴鈴之助」がはやっていたから、田舎の貧弱な遊び道具を補うために、それぞれが競って「刀(木刀)」を遊び道具として作ったものだ。その「刀」を作るには、スーッと伸びた枝を探す必要があったのだ。
 そんなことで、僕もあるとき、ウルシの幹を切って「刀」を作ったことがあった。
 結果は言うまでもなく、その後、体中「ウルシかぶれ」で大変な目にあった。

 数日が過ぎて「ウルシかぶれ」が治まりかけた時に、父親は僕を連れて山に行った。

 そして、ウルシの木の前に立って、持ってきた徳利から酒を盃に注いでウルシの幹にふりかけた。その後、盃に酒を注ぎ、今度は僕に口を付けさせた。
「これで、お前とウルシは兄弟だ。ウルシをいじめてはだめだ。いじめなければ、兄弟分のウルシはお前に悪さをしない。ウルシにかぶれることもない。」
 親父はそういって、僕にウルシに向かって頭を下げさせたのである。

 こんな儀式を、なぜ父親が徳利に酒まで入れて、僕を山に連れて行ってやったのか、そんな疑問とともに記憶に残っていた。
 よくよく考えてみると、そんな儀式をして兄弟分になったウルシを僕は忘れることがなく、今でもウルシの木を認識することが出来る。もちろん、この木に触れたりすると「ウルシかぶれ」になるというのも、その時から僕は認識したのである。

 親父が、僕に教えたかったのは「そこ」なのかも知れないと思い至ったのは、大人になって僕にも子供が出来てからである。
 そんな儀式までして、理屈でなく、僕に「ウルシ」という木と、それに触れると「かぶれる」ということを教えた親父は、明治末期の生まれで、学問もなく、教育論も子育て論も口にするような親父では到底なかった。
 しかし、しっかりと父親としての子供への教育を、そんなことでしていたのだと思い至ったのは、親父が亡くなって暫らく経ってからである。
      
 秋になると、山ウルシはきれいに紅葉する。