BOOK・OFFで「ねじまき鳥クロニクル」を買う 

 最近、僕がちょっと注目している思想家で武道家の内田 樹(たつる)さんが、ブログの中で映画「ノルウェーの森」(村上春樹原作)について書いていたし、昨年末、公開された時に見逃してしまったので、先日、TUTAYAでDVDを借りて観た。
 それと、通勤バックの中に読みかけの本もなくなったし、そんなことで、もう一度「ノルウェーの森」原作でも読んでみようかとBOOK・OFFに寄った。

 しかし、本棚から「ノルウェーの森」(上)を取ってみたのだが、どうもイマイチの気分で、その隣にあった「ねじまき鳥クロニクル」の方に気持が移ってしまった。


 僕にとっての「ねじまき鳥クロニクル」は、かなり以前に知人から「一度、読んでみたら・・」と勧められたが、満州国モンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した日ソ両軍の国境紛争「ノモンハン事件」の悲惨な戦争も書かれているという、あまり定かでない先入観念で、ついつい手にとることはなかった村上春樹の本なのである。

 でも、実際はどんな内容なのだろうかと、パラパラとめくっていると
−−ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果たして可能なことなのだろうか。
 つまり、誰かのことを知ろうと長い時間をかけて、真剣に努力をかさねて、その結果我々はその相手の本質にどの程度まで近づくことができるのだろうか。我々は我々がよく知っていると思い込んでいる相手について、本当に何か大事なことを知っているのだろうか。
 そんなことを真剣に考えるようになったのは、・・・(以下省略)・・
−−
 こんな文章が飛び込んできた。

 おお! なかなか面白そう、と思って、「ノルウェーの森」はやめて「ねじまき鳥クロニクル」第1部を買ってしまった。300円也。

 最近、僕も「人と人が理解し合うのに、言葉が必要なのだろうか。」そんなことを考えることがある。
 「話してくれたら解ったのに・・」って、「それってホント?」。
 言葉の説明なんかなくても互いが理解し合う、「そんなお互いって、ないの?」と、そんなことを考えることがある。言葉がなくても心の琴線が共鳴し響き合う、黙っていても相手の心が感じられる。「そんなお互いになり合えたらいいな」と思うのである。
 そう言えば、村上春樹は何かの本で「どうせ、理解し合えないことは、言葉でいくら説明してもわかり合えない。」こんなことも書いていた。村上春樹は、どんなところから、これを言っているのだろうと、魚の小骨が喉に刺さったように、僕は時々思い出しては考えている。

 8月7日の僕のブログに、アサノサチコさんが
「言葉にならない思いがどれほどかあるものかと、この年齢になって思う毎日です。」
 とコメントを入れて下さった。
 「そうなんです。サチコさん」 
 言葉にならない思いをいっぱいもって生きる僕たち。それも分かり合えたらいいなって、僕も最近思っている。