「三浦しをん」という作家の本2冊

 「まほろ駅前多田便利軒」という映画を観たのをきっかけに、そのあと原作の三浦しをんの同名の小説を読んで、この作家に惹かれて「むかしのはなし」「神去村なあなあ日常」の2冊を読んでみた。

◇「むかしのはなし」は、
 7つの短編・中編の物語からなるのであるが、「かぐや姫」「花咲か爺」「天女の羽衣」「浦島太郎」「鉢かづき」「猿婿入り」「桃太郎」の昔話のモチーフを素材として、三浦しをん独特の世界を繰り広げている。
 最初の2、3編を読んでいる時は、あまりこれと言った感じもなく、正直、途中で読むのをやめようかと思った。しかし、僕の読書空間はほとんどが電車の中であるので、バックの中に他の読み物が入ってなかったという事情もあって、読み進めているうちに、それぞれの昔話を素材として使っているわけだが、その使い方の面白さ、それぞれの物語が絶妙に繋がっていることに気づく。全編を読み終わった時には、不思議なことに作者が投げかけるテーマの大きさを感じたのである。
 そして、読み終わって「裏表紙」に書かれている文章に納得する。
−− 三ヵ月後に隕石がぶつかって地球が滅亡し、抽選で選ばれた人だけが脱出ロケットに乗れると決まったとき、人はヤケになって暴行や殺人に走るだろうか。それともモモちゃんのように「死ぬことは、生まれたときから決まってたじゃないか」と諦観できるだろうか。(以下略)−−
 この様に、全編に流れる背景はSF的設定ではあるが、それがまた「日常を生きる」という意味を三浦しをんは僕たちに考えさせるのである。 
 
◇「神去村なあなあ日常」は、
 この小説の舞台となる三重県中西部、奈良との県境にある「神去村」は、三重のヤマギシの村でも林業をしている「美杉村」がモデルである。
「とにかく面白いから読んでみたら」と妻に勧められて、三重のヤマギシの村への出張の電車の中で読んだ。
 小説のストーリーは、
 横浜生まれ、横浜育ちの主人公は、高校を卒業したら就職せずに適当にフリーターでもして生活しようと思っていたら、母親と担任の先生に中半だまされた形で、三重県中西部、奈良との県境にある「神去村」に林業研修生として送り込まれる。
 脱出しようと思いながらも、現状に流されやすい主人公は、山で生きる壮絶な体験に飲み込まれながら、四季の自然にも魅せられながら、その中で育っていく1年間の姿を書いた小説である。
 とにかく「おもしろい」。
 主人公が遭遇する林業での過酷な体験、山に生きる人達の信じがたいほどの自然崇拝の姿、古くから伝わる村の不思議な風習の展開に、読んでいてワクワクする。
 そして「神去村」で生きる人々の個性あるキャラクターが、何ともいえない人間らしさを醸し出す。

 どうして、三浦しをん林業に詳しいのだろう、どうして「美杉村」なんだろうと思って、ネットで調べてみたら、彼女の祖父が三重県林業をやっていたところが「美杉村」だと分かった。
 そこに三浦しをんが「流されやすい」からこそ、林業のよさに気づいた主人公を設定した気持ちを、インタビューで下記の様に答えていた。
−− 勇気(主人公)は、「流されやすい」と言っていいほど素直な性格ですが、それゆえに、いままで育った都会とは全然ちがう環境である村のよさにも、すぐに気づくことができたんだと思います。林業の魅力にも取り憑かれているようですし…。
 林業だけに限らず、職業との出会いってなんだろうと、ちょっと考えてみることがあるんです。やりがいとかを求めて、自分に本当に向いた職業ってなんだろうと、やっきになって探したり、そういう職業と出会わなければダメというような風潮もありますよね。でも、それって、ほんとにそうなのかといつも思うんです。
 どんな仕事だって、やりがいを感じることは、あったとしてもほんの一瞬で、ほとんどの時間は、「ああ辛い」「やめたい」と思うのが普通ではないでしょうか。
 自分が望んだ職業に就くことが、いいことだとは限りません。勇気みたいに、なんだかよく分からないうちにとりあえずやることになって、やってみたら、辛いことも大変なこともあるけど、なんとなく楽しかったと。それぐらいの、ゆるい態度でいいんじゃないかなと思うんです。「やりがい」や「向いている職業」を求めるあまり、自分を追い詰めすぎるのは、やめた方がいいんじゃないか。そういうことを書きたかったんです。−−

 僕はこれから、三浦しをんの本を読みたいという人がいたら、この「神去村なあなあ日常」を先ず薦めるだろう。