哲学者・鷲田清一氏の新聞記事を読んで

 三重から東京に戻って、すぐに機関紙「けんさん」の編集に入ったので、不在中の新聞を、そのままにしていたので目を通す。
 そんな新聞の中から、5月2日付の東京新聞1面に載っていた哲学者・鷲田清一氏の「人生を語り直そう」という記事が目にとまった。
 
 かなり以前に、所有とは何かを論じている本を読んでから、鷲田氏は気にかかる哲学者であった。
 新聞記事によると、鷲田氏は阪神大震災で被災したらしい。その時の事を、
−−神戸の震災で、がく然としたのは、都市圏で災害が起きると、原始生活どころか、それ以下になることです。
 人間には、生き続けるためにしなければならない「命の世話」がある。食べる、育てる、看病する、そして地域の世話をすることなどです。みんなが力を合わせ、それをコミュニティーの中でやってきた。ところが近代化すると、快適を重視するあまり「命の世話」を社会サービスとして専門職や行政のプロに任せるようになった。そして、市民一人一人のケア能力が減衰していった。今回の東京でも、そうでしょう。目の前に川が流れているのに、ペットボトルが届かなければ、水も飲めないのですから。−−
 このように語りながら、よく言われる「自立」が「孤立」と勘違いされていると言う。
−−人間の社会は分業で成り立っている。まるごと一人でできるものなどありません。(中略)いざとなったら身の回りで助け合う、そういう相互支援のネットワークを使える用意があること、これが本当の「自立」です。−−
 そして最後に、「価値の遠近法」に触れて、
 ①絶対なくしてはならないもの、見失ってはならぬもの
 ②あってもいいけどなくてもいいもの
 ③なくてもいいものと、絶対にあってはならないもの
 それを日頃から仕分ける眼力を身につけた方がいいと言っている。
−−夏の電力不足を考えたら、みんな「なくてもいいもの」を一生懸命に選び出すでしょう。その時「絶対になくしてはいけないもの」、つまり幸せもきっと見えてきます。−−
 こう結んでいる。 
 鷲田氏の言っている「価値の遠近法」について、自分を取り巻く日頃の生活で、考えてみる価値がありそうだ。