富士宮市にある「木の花ファミリー」を訪問

 16日〜17日、木の花ファミリーを訪問した。

 木の花ファミリーという存在は、12、3年前に知っていた。当時、青年部で活躍していたM君が訪ねて、その話を聞いていた。もう一つ、やはり10年前程に、アメリカの共同体などに詳しい明治大学のO先生や、アーミッシュ研究で有名な玉川大学のI先生、新宗教に詳しい大正大学のU先生などと、次の時代に求められる社会形態とは何かというテーマで「Another Way研究会」という集まりを作って、その事務局をしていた時に、研究会メンバーの早稲田大学の学生が、木の花ファミリーを訪ねて事例報告をしていた。
 しかし、その当時の私は、木の花ファミリーはスピリチァル的性格が強い団体、強烈な一人のリーダーのもとに信奉的に集まって生活している団体、その程度の認識であった。

 訪れてみて先ず最初に感じたことは、昼食時の時間でメンバーたちが食事を終わろうとしている時だったが、その場に入った私達を、何のためらいもなく「おかえりー」と目があった人すべてが声をかけてくれた。一見雑然とした中に漂う空気は、ヤマギシのどこかの実顕地の楽園村交流会に行った時のような感じだった。初めて訪れた団体、それも失礼にも食事時の訪問という気兼ねも私達には感じさせないものだった。今、振り返ってみると、団体や成り立ちは違っても、それは血縁でない家族の共生による仲良しの社会を求め実践しているという人達の自然な迎え入れなのかも知れない。そして目指すものが同じで、それを実践しようと生活している者同士の心の通じ合いだったのかも知れないと思う。

 午後は施設や畑を案内してもらったが、それも初めて訪れた、どこかのヤマギシの実顕地で参観をしている雰囲気だったし、説明してくれた人の言葉にも気負いもなく、気さくに「今はこんな感じでやっているんですよ、まあ見てください」的な謙虚で真摯的な心情が伝わってきた。
 参観の後のプレゼンテーションの木の花ファミリーの生い立ちや考え方の説明で、ファミリーの中でよく耳にする「かみさま」という言葉が意味するものは、私たちが使っている「真理」とか「人智が及ばない宇宙自然界の保ち合いの理」に近いものではないのかと感じた。

 夕食の後は、子供ミーテング。幼児はイスに座り、小学生や中学生は後ろに立ち、大人たちを前に学校で渡されたテスト結果がうっかりミスで漢字一つを間違えた悔しさなどを発表し、大人のコメントを求め、素直に聞いている姿勢が新鮮だった。大人と子供がその存在を自然に認め合い、互いに思ったことを出し合う姿、関係…。


 その後の、月一回開かれるという誕生会には、近所の交通事故で障害が残る男性をも招いての7名を祝う会。不自由な体でゆっくりと席に着くのを温かい眼差しで待つ空気。歌あり、踊りありの出し物。誕生会の後の「ウェルカムコンサート」の心に響くハーモニーも見事なものだったが、最後はみんなが大きな輪になって踊り、それに乗って楽しむ心の若さ。私がヤマギシに参画した頃は、私達も企画が催されるたびにやっていた。この感覚、この乗りの感覚の中から替え歌も含めた数々のヤマギシソングが生まれ、「はれはれ」という言葉も生まれ、Tシャツも作った。そんな事を思い出した。

 夜も10時を過ぎて開かれた「大人ミーテイング」。最初に感想を求められたが、頭は少々混乱中でまとまらないし、熱い眼差しに戸惑う。何から何までこの場に出されて情報を共有する。「心のシェア」と言う心境出しから、仕事の段取り、翌日の車の配車、その日の現金収支まで報告される。ちょっと寝ているのかなと思う人もいたがみんな熱心に12時過ぎまで続く。これを毎日とは驚きである。すべての事を分かち合おうという意欲や「私はあなた、あなたは私」といった心情の現れなのだろうか。「大人ミーテイング」が終わった後も、午前2時頃まで意見交流をしてしまった。

 2日目は、広報を担っている2人の方との意見交換。いろいろと2時間近く語り合う。「ヤマギシさんが私たちの先達として、世間から叩かれながらやってきてくれたんですね」という言葉が印象に残った。
 その後、自家製の醤油づくり(醤油しぼり)を見学させてもらい、昼食には、野菜だけでよくこんなに豪華に作るものだと感心する弁当をいただいて、手を握り合ったり、ハグしたりの見送りを受けて帰途についた。