高田郁著『 あきない世傳 金と銀(十三)大海篇 』を読む

 この『 あきない世傳 金と銀 』シリーズは、江戸時代に「買うての幸い、売っての幸せ」をモットーに、呉服商を営む女商人の物語だ。
 半年に1巻ペースで出ていて、僕は楽しみに読んでいたのだが、今回の13巻が最終巻。

               

    この物語を楽しみに読んでいるのには、理由がある。
 もちろん、物語の展開にハラハラドキドキ引き込まれるのだが、着物などの生地へ細かい柄や紋様を染めるために使われる伊勢型紙(三重県白子町)についても知ることが出来たし、絹や木綿の生地と型紙彫り技術、染めの技との相関関係で生まれる着物、さらには浴衣などが考案された経緯など、江戸時代の庶民にとって着物とは何なのか、その知的刺激が次々と描かれるのに興味津々で読むことができた。

 もう一つ、僕は著者の高田郁さんの江戸の風情描写が好きで、惚れ惚れしながら毎巻読んでいた。

 この最終巻でも、例えば、冒頭はこんな描写から始まる。
大門を潜って見上げる吉原の空は、細長い。/引手茶屋に仕切られた空を埋め尽くす勢いで、桜の花枝が伸びている。八分咲きの桜越し、薄紅を差して恥じらうに似た浅縹(あさはなだ)の天が覗く。」
 上手い描写だなあと思いながらも、浅縹(あさはなだ)って何だ、どんな色だと疑問が湧く。調べてみると「やわらかい青色のことで藍染により浅く染めた縹色」だったりする。
 さらに、吉原遊里の桜は、桜の季節に毎回植え替えられていたことが分かる。「幹の太さや枝ぶりの似た樹を選んで運び入れ、花見の見頃を延ばす工夫を凝らし、散って無惨な姿を晒す前に全て抜き去ってしまう。ひとのてをかけるだけかけた桜・・・」何とも贅沢な花見をしていたことを知ることが出来る。

 こんな秋の季節を描写している文章もある。
「見上げる空は高い。/迷いのない天色の空中に、赤蜻蛉(あかとんぼ)の群れが浮かぶ。秋陽(しゅうよう)の恵が江戸の隅々まで注ぎ、終日の上天気を約束していた。」
 秋の日ざし、秋の強い日ざしを「秋陽」と言うのかと気づく。
 さらに、冬の描写は、
「昨夜来の雪が、江戸の街に純白の綿帽子を被せた。/小寒の朝、陽射しはとても弱く、積雪を溶かす力を持たない。色の無い風色の中で、道端の南天のみの赤さと、行き交う人々の綿入れ、・・・・」
 実に冷え込んでいる冬の早朝のイメージを一瞬にして読者に提供してくれる表現力。凄いなあと感心しながら僕は読んでいた。

 今回の13巻の物語展開は、これから読む人の邪魔になるので、書籍説明の転載だけにしておく。
──宝暦元年に浅草田原町に江戸店を開いた五鈴屋は、仲間の尽力を得て、一度は断たれた呉服商いに復帰、身分の高い武家を顧客に持つことで豪奢な絹織も扱うようになっていた。/だが、もとは手頃な品々で人気を博しただけに、次第に葛藤が生まれていく。/吉原での衣裳競べ、新店開業、まさかの裏切りや災禍を乗り越え、店主の幸や奉公人たちは「衣裳とは何か」「商いとは何か」、五鈴屋なりの答えを見出していく。/時代は宝暦から明和へ、「買うての幸い、売っての幸せ」を掲げて商いの大海へと漕ぎ進む五鈴屋の物語・・・──

 この最終巻の最後に「作者より御礼」と書かれている中に、著者の高田郁さんは、この物語の主人公のモデルというか、この物語を書くキッカケが、江戸時代の「いとう呉服店」(のちの松阪屋)十代目店主の宇多(うた)という女性だと披露している。
 では、「伊藤宇多(いとううた)」とはどんな人物だったのかと興味が湧き調べてみた。
──1733~1806。江戸時代中期-後期の商人。享保18年生まれ。名古屋のいとう呉服店7代祐潜(すけゆき)、8代祐清、9代祐正と結婚したがいずれも死別。前名を喜代から宇多に改名しみずから10代をつぐ。宝暦13年祐恵(すけよし)と再婚、夫に家督をゆずる。明和5年11代祐恵は江戸の松坂屋を買収、江戸進出をはたす。文化3年1月24日死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。──
 このような女性商人が実在したことに驚く。

 

    こんなことで、このシリーズが今回の13巻で終わるのは、僕にと実に寂しい限りなのだ。