今日と昨日の朝日新聞朝刊『折々のことば』から

 朝日新聞朝刊1面の哲学者・鷲田清一さんの連載コラム『折々のことば』を、僕は毎日、楽しみにして読んでいる。

 

◇今日の鷲田清一さんが『折々のことば』で紹介していたのは、実業家でもあり文筆家の平川克美さんだった。

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  この平川克美さんの著書『共有地をつくる』は、先日、新聞書籍広告で知って読み出して、昨日、読み終わった書籍だった。

 「おお~、鷲田清一さんも読んだのか・・・」と思って、ちょっと嬉しくなる。

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 ここに鷲田さんが紹介している言葉は、平川さんが「あとがき」で書いているのだが、平川さんは「どうやらわたしには、成功よりも失敗を、豪奢よりも貧相を、壮大よりも矮小を、明よりは暗を好む傾向があるようで、これまでのわたしの生活で、いちばんつまらなくて退屈だったのは、会社がいちばんうまく回っていて金回りがよかったときであった。」「なんとなく日の射す場所よりは日陰のほうが味わいがあると思っていたし、実際そういう状況のほうが、自分の中に生気が澎湃(ほうはい)するのを感じるのである。アカルイミライなんて嘘くさいし、恥ずかしいではないか。」と繋がって「生活の工夫も、ネガティブな状況をどうしたら楽しめるかを考えるところから生まれ出るものだと思う。考えることが楽しいのだ。」と書いている。平川さんはそういう人物のようだ。

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 では、この著書の中で平川さんは、何を書いているかというと・・・。
 著書のタイトル『共有地をつくる』には、副題として ─わたしの「実践私有批判」─ がついている。
「まえがき」では、平川さんの言葉を抜粋すると、─「私有」の反対は、私有をやめて無一物になるということではなくて「共有」ということです。/私が実践しようとしているのは、私有の否定ではなく、批判です。競争社会を駆動している無際限な私有化をやめて、本来、社会の共有物であるべきものを元のとおり共有物に戻すということです。/誰のものでもあり、誰のものでもないというところが勘所です。─ と書き、
 「資本主義は私有財産の拡大を梃子に発展した」「人間は欲しいから買うのでなく、買うから欲しくなる」「私有するとは〝失うもの〟が増えるということ」などと章立てして資本主義と私有について考察し批判し、家族形態の変化を、自身の生い立ちや山田洋次の映画や韓国ドラマを例にあげながら地縁共同体を考察したり、ネット社会におけるフリーソフトウエアとしてプログラムが公開されていて、改変・再配布が自由な「リナックス」のことを書き、「贈与軽罪」についても「人間という生き物の本質に迫る重要な意味が隠されています。/贈与経済は、種としての人間が生き延びてゆくための全体給付のシステムです。/わたしは、そこには人間の本質を解き明かす鍵が潜んでいるなどと考えたことはなかったし、また実際に感じることもなかったのです。」と言及している。
 さらに「個人個人が非資本主義的な生き方の可能性について気づけば、社会の大きな変化の可能性も見えてきます。その気づきの第一歩として〝人資本主義〟というものを想定しているのです。」「現在の法人資本主義、あるいは金融化した資本主義が作り上げた社会の辺境で、資本主義の原理が及ばない、資本主義とは異なる原理によって運営されている共同体のことなのです。その共同体を担うのは、もちろんわたしたちひとりひとりです。」と、その考えで平川さんが実践している体験を書いている。


 まだ、一度ザッと読んだだけで、もう一度読み直そうと思っているのだが、なかなか読み応えがあり、考え処がある書著なのである。

 

◇さらに、昨日の鷲田清一さんが『折々のことば』で紹介していたのは、思想家であり評論家の吉本隆明さんだった。

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 この吉本隆明さんの著書『真贋』も読んでみたくなって、メルカリで探したら300円でアップされていたので、早速、購入した。
 明日には届く予定。
 入手出来たら、早速、読んでみようと思う。