松岡圭祐著『 黄砂の進撃 』を読む

 昨年4月に読んだ『 黄砂の籠城 』も、今回読んだ『 黄砂の進撃 』も、1900年に中国・清朝末期で起こった「義和団事件」という史実をもとに書かれたものである。
 『 黄砂の籠城 』では、日本側の視点で書かれていたが、『 黄砂の進撃 』は、中国側の義和団の視点で描かれている。
 歴史は、どの視点から見るかによって〝異なる〟ということを、著者はこの2冊で描いているし、歴史の検証には、その複眼的な視座が如何に大切なことかを読者は教えられる。
         
 北京の東交民巷(とうこうみんこう)という北京在外公館区域に住む日本、ドイツ、アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、ロシア、スペイン、ベルギー、オーストリアハンガリー、オランダの公使やその家族約900人と、迫害を恐れて逃げ込んできた中国人キリスト教徒約3000人に対して、「扶清滅洋(清朝を助けて西洋外国勢力を撃滅する)」を旗印に、外国人排斥を叫ぶ武装集団・義和団と、それを支持した当時の清国で実権を握っていた西太后の清国正規軍隊が包囲し、連合軍の援軍が到着するまでの2ヶ月に及ぶ籠城戦の攻防という史実。

 『 黄砂の籠城 』では、その籠城戦において11ヵ国をまとめ、実質的に指揮を執った日本人の柴五郎中佐と部下の日本兵の活躍を描いているが、『 黄砂の進撃 』では、何故、「扶清滅洋」を旗印にした義和団という集団が生まれたのか、東交民巷の包囲に至った理由は何か、といった中国側の社会的背景を加味しながら、その必然性を描いている。
 そこには、キリスト教の布教のもと、宣教師による行政への介入と、それに伴う農民の暮らしを不当に締め付けた事に発端と理由があり、彼らから見たら、単なる暴走集団でなく、そこに正義があったのだ。
 そんな外国人排斥を叫ぶ武装集団・義和団も、実は、日本の幕末において外国勢力の圧力が強まるなかで、特に下級武士層の危機意識から生まれた尊王攘夷運動と同質な芽があったことを僕は知ることができた。
 どの視点に立つかで歴史の解釈は変わる。そして、正義の在り方も異なる。
 明治維新から150年。日本の近現代史において、薩長史観を超えた歴史解釈が語られる必然性も、そこにある。