原田マハ著 『 たゆたえども沈まず 』 を読む

 現在、上野の東京都美術館ゴッホ展 巡りゆく日本の夢 』が開催されている。
 先日、NHKで放送していたドキュメンタリー「ゴッホは日本の夢を見た」を観た。
 ゴッホは、浮世絵を600枚も収集していたし、浮世絵を背景とした作品「タンギー爺さん」など、日本とゴッホとの関係を丹念に辿る興味の湧く内容だった。
 展覧会は、来年1月8日までなのだが、もう少し、ゴッホについて知識を得てから観賞したいと思っていたら、つい最近刊行された、僕の好きな作家・原田マハの『 たゆたえども沈まず 』とう本を見つけたので、早速、読んでみた。
          
 原田マハの絵画をテーマにした作品は、『楽園のカンヴァス』と『暗幕のゲルニカなどを読んでいるが、この物語も、僕の期待通り、絵画に造詣が深い原田マハだからこそ、日本美術、特に浮世絵に影響を受けながら、創作活動をしたゴッホの生涯の姿を描けたのだと思わせる作品だった。

 19世紀末のフランス・パリ。
 日本に憧れ、浮世絵に魅せられながら、新しい絵画表現を試行錯誤し、自分だけの表現を追い求めるフィンセント・ファン・ゴッホと、その創作活動を支える弟のテオドルス・ファン・ゴッホ
 フランスに憧れ、日本では美術品としてあまり認められてない浮世絵や陶器などを、芸術の都・パリに持ち込み、日本文化を認めさせようと商売する画商の林忠正と助手の加納重吉。
 物語は、この4人を軸に展開する。
 その時代の伝統的絵画に満足できず、新しい作風の新進気鋭の印象派の画家たち、その先を感じさせるゴッホの絵。
 しかし、不安定な精神状態のゴッホは、ときに痛々しく苦悩に満ちた葛藤を繰り返しながらの日々。
 日本に憧れながら、林忠正に勧められ南仏のアルルで「ゴッホにとっての日本的な美」の追究。
 芸術論を語り合うことができた、ただ一人の友・ゴーギャンとの共同生活。しかし、それは長続きせず破綻。
 そんな中から生み出される絵は、ゴッホの生存中は売れることはない。
 ますます精神を病んで、自分の耳を切り、最後は拳銃で自殺して37歳の生涯を終える。

 後世で認められたゴッホの数々の絵画が、どのような状況で、どのような精神状態の中で描かれたのかを、著者は史実と史実の隙間を豊富な想像力で埋めていく。
 あの絵には、こんな背景があったのかと、フィクションではあろうが納得し、ゴッホの苦しみを知る。
 例えば、有名なタンギー爺さんの肖像」
              
 モンマルトルのクローゼル通りで画材店を営んでいたジュリアン・タンギーを描いた絵だ。
 タンギー爺さんはパリの若い画家たちを献身的に支持し、生活に苦しい画家には画材代金の代わりに作品を受け取る。売れるあてもない絵はたまり、画商も兼ねるようになる。ゴッホもその売れない画家の一人として、肖像画を2枚描く。
 背景に複数の浮世絵を掛けてタンギー爺さんを描いた作品は、ゴッホの日本美術への強い傾倒を感じさせる絵画なのだが、その様子がリアルに描かれている。


 また、本書の表紙カバーにもなっている「星月夜」
           
 ゴッホは精神的に追いつめられ、自分の耳を切り落とす。
 その後に描かれたこの絵は、ゴッホがピストル自殺した後に弟・テオドルスに届いた完成度の高い作品群の中の一つ。
 「明るい、どこまでも明るい夜空。それは、朝を孕んだ夜、暁を待つ夜空だ。地球を含む星ぼしの自転、その軌道が白く長くうねり、夜空にうずまく引き波を作っている。太った三日月は煌々と赤く輝き、空を巡る星たちは、やがて朝のヴェールの中へと引き込まれていく。その中にあって、わずかも衰えずに輝きをいや増すただひとつの星、明けの明星。アルピーユの山肌を青く照らし、静かに眠る村落に光を投げかける。かくも清澄な星月夜、けれどこの絵の真の主人公は、左手にすっくりと立つ糸杉だ。緑の鎧のごとき枝葉を身にまとい、空に挑んでまっすぐに伸びるその姿は、確かに糸杉だった。けれど、糸杉ではなかった。それは、人間の姿、孤高の画家の姿そのものだった。孤独な夜を過ごし、やがて明けゆく空のさなかに立つ、ただひとりの人。ただひとりの画家。ただひとりの、兄。」(本書336頁)
 このように著者はテオドルスに語らせ解説し、死を前にして完成させた絵の背景を読者に提供する。


 こんな背景に思い巡らしながら、『ゴッホ展』を鑑賞したら、なんと素晴らしいだろう。ますます楽しみになっている。