昨夜、沖縄から東京へ戻る

 首里城の北、戦後「ニシムイ美術村」があったと思われる住宅街で見つけたブーゲンビレア
      
 

◇沖縄3日目。
 2泊3日の沖縄の旅、3日目の昨日は朝から雨。
 それも、雨脚も強いし風もあって、傘など差しても衣服はビショビショって感じの降り。
 予定では、午前中はホテルから近い首里城を散策して、琉球王国を偲ぼうと思っていたが、それも出来なかった。
 昼から、宜野湾市に住んでいる次男家族と会って、昼食を一緒に食べて、雨で行くところもないので、近くの「宜野湾市歴史博物館」を参観し、宜野湾の海に隣接した「ぎのわんゆいマルシェ」で、沖縄の野菜や特産物を見て、夕方、空港まで送ってもらった。
 孫と一緒に、沖縄の浜辺でも散策しながら遊ぶ計画は、残念ながらおじゃん。
 この雨では仕方がないと諦める。
 夜、那覇空港を離陸するときも、土砂降りの状態で、離陸予定時間が30分も遅れた。
 羽田空港に10時に着いて、我が家に帰宅したのは、ちょうど12時だった。
 そんなことで、昨日はブログをお休みしたので、昨日のおしゃべりを書く。


原田マハ著『太陽の棘』の舞台となった「美術村」は見つからなかった。
 先週、この本を読んだ。
      
 沖縄に行ったら、是非、この物語の舞台となった「ニシムイ美術村」跡に行ってみたいと思っていた。
 ネットの「那覇市内史跡・旧跡案内」には、写真付きで、このように紹介されている。
          
沖縄戦の後、画家達が多く居住した地区跡。首里儀保町(しゅりぎぼちょう)のニシムイに造られたため、「ニシムイ美術村」、単に「美術村」ともいう。「ニシムイ」は、首里城の北(方音で「ニシ」という)に位置することから、「ニシムイ」と呼ばれ、「西森」の字が当てられた。かつては松が生い茂る景勝地で、「西森小松(にしむいしょうしょう)」と謳われた首里八景の一つであった。』


 宿泊しているホテルも首里だ。
 昨日朝7時、小雨だったのでフロントでビニール傘を借りて、スマホの地図アプリを頼りに歩くこと15分少々。
 この辺りだと探すが見つからない。
 出会う人、玄関先に出てきた人など7〜8人に訪ねるが、みなさん「さあ〜、何処だろうねぇ〜」と考え込む。最近、住宅街になったからか、住民も知らない。
 「美術村があったとは聞いたことあるよ。」「きっと、あの辺だよ。」と教えてくれるが頼りない。
 30分も探していたら、小雨が突然、スコール風の土砂降りの雨に・・・。
 妻との朝食を8時30分に約束していたし、この雨では歩いて帰れないのでタクシーを止める。
 タクシードライバーのおじさんが「どうしたんですか?」というから、事情を話すと「せっかく、ここまで来たんですから、一緒に探しましょうよ。」と。
 住宅街の車ぎりぎりの路地に入ったり出たりと、料金メーターを倒してまでして、探してくれる。
 スマホの「那覇市内史跡・旧跡案内」を見ながら、やっと「この辺りだなあ〜」と行き着いたところは、工事中。
 ドライバーのおじさんは、近所の家の玄関を叩いて聞いてくれる。
 奥さんも旦那さんも、子ども達まで出てきて「何か、出来るらしくって、工事してますよ。」とのこと。
 「わざわざ、みえられたのに、申し訳ありませんねぇ〜」と謝りの言葉まで。
 ドライバーのおじさんも「せっかく、来たのにねぇ。」と残念がる。
 沖縄の人は、凄い。この親切はなんだ。
 みなさんの心に、僕の方が恐縮してしまった。
 それだけで、感激、感激。
 ホテルに戻ったら、妻曰く「そんな親切、その心を貰っただけで十分じゃないの・・」と。
 美術村跡の看板は見られなかったが、きれいなブーゲンビレアをカメラに収めたのが、最初にアップした写真だ。