昨日は、六本木で開催されている『世界遺産・ポンペイの壁画展』を観た。
「僕がポンペイを訪れたのは、いつのことだったのだろうか。」
壁画展を観て帰宅した昨夜、押し入れの奥のほうに入れていた段ボールの中に保管して、長いこと見ることがなかった若い時分のアルバムを探し出した。
開いてみたら、何と写真に記されている日付は「84.10.14」とある。
もう、だいぶ記憶が薄れていると思ったら、1984年の秋だったのだ。
◇イタリア出張の時に
僕は当時、某労働組合の役員をしていた。
そういう役職柄、所属連合会が主催した「ヨーロッパ労働事情視察」に参加した。
3週間の旅程で、スイス・ジュネーブの国際労働機関(ILO)本部訪問と、ヨーロッパ各国の労働組合との意見交換と交流が組み込まれていた。
その旅程のイタリア訪問の時に、僕はどうしてもポンペイ遺跡を見たいと思って、休日の自由行動の時に、同行した友人と、ローマからの日帰り旅行のバスに乗ったのだ。
◇イタリアに行ったら、必ず訪れようと思って
だいぶ昔のことで、ストーリーは定かでないが、たぶん、『ポンペイ最後の日』というイギリスの作家が書いた小説を読んでいた影響だろうと思う。
イタリア・ナポリ近郊の古代ローマ帝国の都市・ポンペイ。
ベスビオ山の大噴火。
一瞬のうちに街も市民も生き埋めになり、長い年月、地中に封印。
そして、約1700年後に、その封印が解かれた街。
僕は、イタリアに行く機会があったら、ぜひポンペイに行って、その地に立って、その地の空気を吸って、ポンペイ最後の日の感覚を肌で感じたいと思っていたのだと思う。
◇その時に写した写真をアルバムからピックアップ
整然とした街並み跡、円形闘技場、公衆浴場、石畳の道路などに都市としての完成度や、火山灰の中にできていた空洞に石膏を流し込み再現した親子・男女の人形像などに、驚きを持って遺跡群を見て回った記憶がある。
遺跡群の向こうに見えるのが、大噴火をしたベスビオ山だろう。
さらに、この写真を見て、その時に驚いた一つに「娼館」の存在だったことを思い出した。
この写真は、営業内容の看板代わりの壁画らしい。そして、その娼館への道しるべが、路を歩いていると「男性のシンボル」が矢印の役割をして石畳に掘られているのには、ほんとうにビックリし、友人と笑ってしまったことを思いだした。