宮下奈都著『羊と鋼の森』を読む

 今年の本屋大賞第1位ということで知った宮下奈都さんが書いた『羊と鋼の森』。
 どんな内容の本だろうと、読書ミーハー的好奇心で読んでみた。
        

 この物語は、こんな書き出しで始まる。
「森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。
 問題は、近くに森などないことだ。乾いた秋の匂いをかいだのに、薄闇が下りてくる気配まで感じたのに、僕は高校の体育館の隅に立っていた。放課後の、ひとけのない体育館に、ただの案内役の一生徒としてぽつんと立っていた。
 目の前に大きな黒いピアノがあった。大きな、黒い、ピアノ、のはずだ。ピアノの蓋が開いていて、そばに男の人が立っていた。何も言えずにいる僕を、その人はちらりと見た。その人が鍵盤をいくつか叩くと、蓋の開いた森から、また木々の揺れる匂いがした。夜が少し進んだ。僕は十七歳だった。」

 この文章に、引きずり込まれて、結局、僕は最後まで心地よい風にあたりながら・・といった感じで読んでしまった。


 この冒頭の文章は、北海道の山の中の辺鄙な集落で育った主人公が、調律しているピアノの音色から、それに魅せられて、調律師をめざすきっかけのシーンなのだ。
 その彼は、山間の実家近くの牧場に羊が飼われている環境で育っている。
 ピアノは、森の木々(木材)から出来ていて、その音色は、鋼の弦を、羊の毛のフェルトで出来たハンマーが叩いた音だ。
 そのピアノの音色に、彼は原風景を感じて、その後の人生のスタートとなるのだ。


 自分には調律師としての才能があるのか、いつになったら一人前の調律師になれるのかと、悩み、葛藤しながら、それでもやり続けて、人間として、調律師として職人技を磨き、田舎で育った純朴な青年は成長していく。
 才能があるかないかなど、誰にも分からない。
 いま自分がやっていること、こつこつと続けていることに、無駄なことはなく、それが人生を生きるということなのだと、大げさに言えば、そんな人生哲学を感じさせる物語だ。


 それにしても、ピアノの音色、それを生み出すピアニスト、それをサポートする調律師、それらが織りなす音楽の世界。
 その魅力と、その世界の人々を、温かく、静かに、優しく、洗練された文章で語られた物語だった。
 清々しい感動を覚えながら、読み続け、読み終わった。


 最後に蛇足になるが、僕も東北の山間の辺鄙な集落で育っている。
 主人公の育ちの環境がイメージとしてわかり、その心情にも共感できた。
 例えば
「多くのものをあきらめてきたと思う。山の中の辺鄙な集落で生まれ育った。家に経済的な余裕があるわけでもなかった。町の子供たちが当然のように受ける恩恵が、まわってこないことも多かった。あきらめる、という明快な意志はなかったにしろ、たくさんのことを素通りしなければならなかった。」(本書84頁)
 このような育ちの環境を、主人公は、「はじめから望んでいないことをいくら取りこぼしてもつらくはない。」と言って、自分の育ちの環境といまの自分を受け入れて、いまを生きるのだが、その心情が、僕にはスーと入ってきて、共感することが出来るのだ。