土曜日から日曜日のおしゃべり

 土曜日の午後と夜、日曜日の午前中は、多摩実顕地の集中研鑽会「村づくり研」。


◇寄って研鑽することの意義
 先日の研鑽会で、練馬供給所のトモエさんが「〝寄る〟っていう字は、ウ冠の下に大きな可能性があるって書くんだよね。」と言っていた。
 〝寄る〟という字の成り立ちがそうなのかどうかは定かでないが、確かに寄って研鑽すると大きな可能性を感じることは確かである。
 多摩実顕地では、土曜日の14日午後1時から5時、夜は7時から9時、日曜日の15日には朝8時から10時まで、全員参加の集中研鑽会をやった。
 夜には、関東各実顕地からも大勢来てくれたし、三重からも2時間の研鑽会に6人も駆けつけてくれて、多摩実顕地の一番大きな研鑽会場で二重の輪の総勢60人を超える大研鑽会になった。
            
 来月14日に予定している〝朝市〟をダシに、これからの多摩実顕地や生産物供給活動をどのように描くか、今までの事は一旦棚上げして、自分たちは何をやりたいか、どんな実顕地を造りたいか、朝市やそれに続く新しい試みの供給活動は・・、朝市を通して何をやるのか、など等、それぞれが出し合って研鑽した。
 2日間集中して研鑽して、それぞれの思いはまちまちかもしれないが、やろうとする大きな方向は、一致したように感じた研鑽会だった。
 やっぱり、トモエさんの言葉ではないが、先ずは〝寄る〟事であるというのが実感。


◇スミエさんとのお別れ

 かれこれ20年前、ヤマギシズム学園の高等部の日常生活を劇や歌に表した『農が好きだ・ミュージカル』を東京で5年ほど公演したことがある。
 その時に、学園の親の一人として、僕たちと「ミュージカル公演実行委員会・事務局」で一緒に活動をしたり、案内所の庶務も長いことやってくれていたキタジマ・スミエさんが水曜日に亡くなったと知らせをもらった。
 10年ほど前、大病を患って、それ以降は人工透析の生活だった。
 昨年の10月ごろから入院していたらしいが、残念ながら亡くなった。
 決して目立つ存在の人ではなかったが、こつこつとやってくれる人だった。だれもスミエさんを悪く言う人はいなかった。そんな人だった。
 家族葬ということで、土曜日の9時半から30分間だけが、親族以外の人のお別れの時間だと連絡をもたったので、東京都荒川区町屋までお別れのご焼香に行った。
 「ミュージカル公演実行委員会」で、当時一緒に活動した人たちが8人ほど来ていた。
 懐かしい仲間たちで、お別れした。
 今月初めに長兄が亡くなった時にも感じたのだが、人が亡くなるという時の、その人の僕たちへの最後のプレゼントは「疎遠になっている人達との出会いの場の提供」なのだ。
 長兄の通夜や告別式でも、久々に、大きくなった甥や姪に出会ったし、疎遠だった人とも顔を合わせて、話に花が咲いた。
 今回のスミエさんとのお別れの場でも、お焼香が終わった後で、互いの近況を聞きあったりした。
 スミエさんのご冥福をお祈りすると同時に、ありがとうと言いたい。


◇日曜日の昼はキッチン・ブースの初使用
 来月の〝朝市〟に向けて、多摩実顕地の生活館前の供給所に「キッチン・ブース」を設置した。
 給排水、電気工事も終ったので、試に今日の昼はそこで冷凍うどんを湯がいて、みんなで食べてみた。
            
 薬味のネギと七味唐辛子だけの素うどんだったが、自前のキッチン・ブース、格別の美味しさだった。