皇后美智子さまと短歌

 永田和宏著『現代秀歌』の中で、皇后美智子さまの短歌が「秀歌」として何首か紹介されているのは、先日、このブログに書いた。


◇元旦に発表された短歌
 今朝の朝日新聞天声人語」で、元旦に発表された天皇・皇后両殿下の歌が「平和への思いがにじむ2首」として紹介されていた。
 あらためて、元旦の新聞を探して、それを読む。
          
 戦後70年にあたって、皇后美智子さまの詠まれた3首の中で「天声人語」で紹介されていた歌。


    《学童疎開対馬丸(つしままる)》
         我もまた近き齢(よはひ)にありしかば沁(し)みて悲しく対馬丸思ふ


 この皇后美智子さまの歌は、沖縄から本土九州へ向かった学童疎開船「対馬丸」が、途中で米潜水艦に撃沈されて約1500人が犠牲になった悲劇、ご自分と同年代の子どもたちを思っての歌である。


さとう宗幸の『水仙華』
 年末にテレビを見ていたら、『青葉城恋唄』で有名なさとう宗幸さんが出ていた。
 『青葉城恋唄』を「懐かしいなあ」と思いながら見ていたのだが、その後に『水仙華』という曲を歌った。
 歌う前に、この歌が生まれた経緯を紹介していた。
 東日本大震災後の4月に、天皇・皇后両殿下が仙台市の宮城野体育館を訪れた時に、津波被災者の一人の女性が、大津波に見舞われながらも花を咲かせたという自宅跡地の水仙を花束にして「この水仙のように頑張りますから・・」と言って美智子さまに手渡した。
                
 その水仙の花束を、羽田空港で飛行機から降りる美智子さまは大切に手にされていた。
 その姿をテレビニュースで見て、美智子さまの人柄と被災された人達への深い思いを感じ、その感激を詩にして送ってくれた人がいて、それに曲を付けたものなのだと紹介していた。


               
◇新書『生きる哲学』での皇后美智子さま
 若松英輔著『生きる哲学』の第13章で、皇后美智子さまを取り上げ「阪神大震災と一束の水仙」と題して、美智子さまの「愛しみ」を紹介している。
 阪神淡路大震災の2週間後に被災地を訪れる際に、当日の朝、美智子さまが自らの住まいの庭に咲いている水仙の花を摘んで、花束として、焼け落ちた町の傷跡なまなましい場所に静かに献花されたことを紹介し、著者は、花を「摘む」とはどのような心なのかを述べ、美智子さまの心の深層に宿る「人を思う心」を書いている。
                 
 そして、この年は戦後50年。
 皇后美智子さまの「50年の歳月を生きてきた遺族」への思いを詠った歌を紹介している。


      いかばかり難(かた)かりにけむたづさへて
                       君ら歩みし五十年(いそとせ)の道


 美智子さまの優しいまなざしを彷彿させる歌だ。


◇僕は、このような短歌やエピソードに最近ふれて、「皇后美智子さまとは・・・」と、その人間性に感じ入るのだ。