姉と末っ子の僕

◇告別式
 今日は川崎市に住んでいた姉の告別式だった。
           
 5年前に乳癌になって、手術後3年ほどは元気に生活していたが、2年前に癌は腰骨に転移し、その後、車椅子で生活していたが、2ヵ月前には脳にまで転移して入院していた。
 その入院の知らせを受けたのは、モンゴル出張中のウランバートルだった。
 帰国してお見舞いに行った時には、まだ意識ははっきりしていてモンゴルの話を聞いてくれた。
 今月に入ってから、食事が思うように出来ない状態だと聞いていたので覚悟はしていたのだが、先週の三重県出張中に亡くなったと連絡を受けた。
 昨日の日曜日が通夜だったので、豊里実顕地での「会員の集い」の全体研鑽会が終わった時点で、急ぎ東京に戻ってきて、通夜に駆け付けた。
 今日は、その告別式だった。

 姉と僕は10歳の年齢差がある。さらに僕は末っ子だから、昔の記憶といったら可愛がられた記憶だけが残っている。
 昔から、「Naoちゃん、Naoちゃん」と言って気にかけてくれていた姉だった。
 訪ねるたびに、あれこれと持たせてくれて、何歳になっても、いつまでも僕は「末っ子のNaoちゃん」だった。 
 それは、僕がヤマギシに来てからも、そうだったし、僕が還暦を過ぎてからもそうだった。
 3人いる姉の中で、一番、母親の性格に似ていたと思う。

 姉の入院中、毎日通って姉の傍にいた義兄が、しみじみと「俺より先に逝くとはなあ〜」と、精進落としの時に僕の横に来て呟いていた。


◇『現代秀歌』から
            
 永田和宏著『現代秀歌』の第10章「病と死」の中で、次のような短歌が紹介されている。


     もゆる限りはひとに與へし乳房なれ癌の組成を何時よりと知らず
                       中条ふみ子『乳房喪失』(昭29)


     先に死ぬしあわせなどを語りあひ遊びに似つる去年(こぞ)までの日よ
                       清水房雄『一去集』(昭38)


 前者の中条ふみ子は乳癌で32歳の若さで亡くなった歌人だ。
 著者の永田和宏さんは「燃える乳房に、いつ頃から癌は巣食い始めたのであったろう」と詠った中条を「愛と性、そして病と死、それらすべてを見つめ、肯定的に自らのなかに取り込もうとするかのような奔放さと大胆さが、歌壇に大きな衝撃となって走った。」と書いている。
 後者は、清水房雄が、乳癌の妻の病状が、いよいよ予断を許さない状況になった時に詠ったもので、「どちらが先に死ぬか、などという話題は、夫婦がそれぞれ健康なときにのみお互いの軽口を楽しめるものである。」と解説し、妻に先立たれる男の悲哀を「冷静なしかも的確な視点から」詠ったものだと評価している。

 確かに、インパクトのある短歌である。
 姉の逝去と、義兄の落胆を垣間見た今日、この短歌がより一層、胸に迫ってくる。