永田和宏著『現代秀歌』を読み始める

 先週末に書店で目にとまったのが、この岩波新書の『現代秀歌』だ。
 通勤電車の細切れの時間にページをめくっているが、疲れた頭を「短歌」という世界に誘って癒やしてくれる、実にいい新書に出会ったと思っている。
             
 著者は、この新書刊行の意義を「はじめに」で、
 「本書でとりあげた歌人たち、そしてその短歌作品を、私は100年後まで残したいと願っている。200年残ればもっとうれしい。私たちが古典和歌と呼ばれる歌を、千年を経た現代において読み、味わえる喜びを、私たち自身が次の世代に受け渡していく必要があろう。」と述べ、
 著者が次代にも読んでほしい短歌を紹介し、その詠み人の心情をわかりやすく解説してくれている。
 僕はまだ、第一章と第二章しか読んでいないが、著者の解説を土台にして、詠み人の短歌に託したかった心情をさらに推し量り、短歌のもつ不思議な世界に酔いかけている。
 「短歌」という、たかだか31文字でありながら、その限りなく創造性豊かに拡がる世界を味わい、かってに詠み人の心情を僕なりに受け止めて共感しているのだ。

 この『現代秀歌』は、10章から構成されている。
 第一章「恋・愛」 第二章「青春」 第三章「新しい表現を求めて」 第四章「家族・友人」 第五章「日常」 第六章「社会・文化」 第七章「旅」 第八章「四季・自然」 第九章「孤の思い」 第十章「病と死」


◇例えば、第一章「恋・愛」には、このような歌が紹介されている。

     たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
                       河野裕子『森のやうに獣のやうに』(昭47)

     観覧車回れよ回れ想い出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)
                       栗木京子『水惑星』(昭59)

 著者の解説は本書を読んで頂くとして、青春時代の乙女心が抱く恋って「こんな心境なんだろうなあ〜」って、淡い恋心の不安定な心情をイメージできる歌だ。
 男だって女だって、自分の思いを表現できず、それゆえに揺れる心境が増幅し、どうしようもなく自己嫌悪に落ち込んでしまったのが青春時代の恋だったと、今になって思う。
 そんな若い時の思い出を呼び覚まされる歌だ。

◇そして、何といっても、この歌は必ず出てくるだろうと思っていた短歌。

      「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
                       俵 万智『サラダ記念日』(昭62)
 
 僕は俵万智の歌で、この短歌が一番好きだ。
 こんな歌を詠む若い女性がいることに驚いて、この歌集を買って、今でも本棚に納めて時々ページをめくっている。
 何げない言葉にも、相槌を打ってくれる、そんな二人の会話ともいえないやりとりに秘められた、ひととひとがともに存在するという、その幸せの実態。
 こころが、ほんとうに温かくなる歌だと僕は思っている。

◇この章で一番驚いたのは、この歌だ。

      かの時に我がとらざれし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ
                          皇后美智子『瀬音』(平9)

 歌会始など儀式で詠むのは知っていたが、このような歌を皇后美智子様が詠んでいたとは、驚きだった。
 「かの時」とは、かつての皇太子妃になるかどうかを選択した時だろう。
 それを選択しなかったら、どんな人生だったのだろうと、皇后という立場を棚上げして詠んでいる人間性に、僕は心打たれた。
 ニュース画像でだが、あの被災地を回られたときの、何とも言えぬ親しみ溢れる姿、その心の源泉を感じることができる歌だと思った。


 もっともっと記しておきたい歌はあるが、もう夜も更けてきてしまった。
 明日から週末にかけて日曜日までは、三重県ヤマギシの村・豊里実顕地に出張だ。
 この辺で、今日のおしゃべりは終わりにして、続きは折をみて、また、後日に書くとしよう。