東京に戻り、今日は案内所

 土曜日、日曜日と台風に合わせるような出張で、三重のヤマギシの村・豊里実顕地に「足止め」とブログに書いたら、2人の方から「無事に東京には戻られたのですか」とメールをいただいた。
            
 実は、昨日の夕方、三重県から台風も遠ざかり、交通混乱も落ち着きつつあったので、豊里実顕地から津駅までナルセさんに車で送ってもらう。
 津駅からの近鉄は、特急は運行していなかったが、急行は約10分遅れで走っていたし、名古屋からの新幹線は正常運転だった。
 無事、夜の8時過ぎに、我が家・多摩実顕地に到着。


◇案内所も今週は夏休み
 今日から案内所の事務局のみんなは夏休みだ。
 しかし、会の機関紙「けんさん」編集メンバーのカヨコさんとユリカさんに、特別に来てもらって、9月号の記事構成や編集段取りの研鑽会をする。
 全国6会場で開催していた楽園村も終わり、夏の特講や研鑽学校も終わったし、「けんさん」に掲載したい内容を検討して、それぞれ担当を決めて原稿依頼をする。


◇出張車内で読んだ文庫・冲方丁著 『天地明察』(上)
 サユリさんのブログに、『自分の壁』(養老孟司著)で紹介されていた『天地明察』を読んだ感想が載っていた。
 サユリさんの感想は、
  ─ 久しぶりに読んでいてワクワクする小説を読みました。
    算術と囲碁と天文と暦の繋がりが読み進むうちに見えてきます。
    江戸時代の人の活かし方も面白い。
    養老孟司さんが言うとおり、とても面白い小説でした。 ─
 と、書かれていた。
 実は、僕も『自分の壁』の中で、「江戸(時代)の不思議な人材登用」として、
 身分制度の建前の枠を超えた臨機応変な人材登用の実例が、よく解る例として、この冲方丁著『天地明察』を紹介していたので、読んでみようと思っていた。
            
 この小説は、吉川英治文学新人賞本屋大賞も受賞している小説だから、知っている人も多いと思うが、徳川四代将軍家綱の時代に、日本独自の暦を作り上げるという幕府主導の「プロジェクト」の責任者に、けして身分の高くない碁打ち衆として登城を許されていた一人の男が起用され、大事業を達成するという物語だ。
 まだ、文庫本の(上)しか読み終えていないが、実に面白い示唆に富んだ小説である。
 物語の感想は(下)を読んでからにするとして、「暦」について、なるほどと含蓄のある記述があったので紹介する。

◇人々にとっての「暦」とは
 僕も毎年、部屋に掛けるカレンダーと、持ち歩く手帳を、年末に買い揃える。
 それは習慣になっていて、意識していないが、それは何だろう。
            
 『天地明察』の中で冲方丁は、次のように書いている。
 先ず、冒頭の序章の中で
 ─ 暦は約束だった。泰平の世における無言の誓いと言ってよかった。
   〝明日も生きている〟
   〝明日もこの世はある〟
   天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦なのだ。
   この国の人々が暦好きなのは、
   暦が好きでいられる自分に何より安心するからかもしれない。
   戦国の世はどんな約束も踏みにじる。そんな世の中は、もう沢山だ。
   そういう思いが暦というものに爆発的な関心を向けさせたのだろうか。─

 そして、(上)の最後の第三章には、
 ─ それにしても暦というものも実に不思議なしろものだ。
   日本全国、ほぼ同じものが出回っているにもかかわらず、
   自分が手にした瞬間、それは自分だけの時を刻み始めるのである。
   暦に記された諸事の注釈も、
   こうして眺めている自分にとってのみ意味があるものに思えてくる。─


 暦を毎年、更新すること、それが出来ることとは、なんと「幸せの証」なのである。