〝時の流れ〟についてのおしゃべり

◇昨夜の金曜夜は、男の研鑽会
             
 この研鑽会の声かけをやってくれているYさんが、5月1日付で本社へ転勤。
 Yさんは研究技術者で、東京郊外の事業所で電子顕微鏡などを駆使しての分析専門家だ。
 研究者肌のKさんに「本社に行って、どんな仕事をするの?」と、みんなKさんにとってのやり甲斐ある仕事があるのかと少々心配そう。
 そんなことで、昨夜の研鑽会は、仕事を替わる、職場を替わる、などの話題から「仕事を引く継ぐ」時に見えてくる自分の心境などが出されて、それが〝我執〟なのか何なのか、盛りあがった。
 いろいろ出尽くした後に、Kさんから「前任者に引き継がれた書類って、ほとんど見ないよなぁ」と言えば、他の人から「そうそう、居る間は〝あの人がいなくなったら困る〟って、みんなが思っていても、いざ居なくなっても、何とかなっちゃうんだよね」と大笑い。
 時の流れとともに、人が代わり、世代が代わる。一見困ったように見えても、何の困ったこともなく、そして営みは続く。
 そんなことを考えた研鑽会だった。
             


◇土曜日の今日は楽園村の研鑽会
 案内所で楽園村に関する研鑽会があって、その中の2人のヤマギシズム学園高等部出身のお母さんが、旦那さんと子ども達を連れて来た。
 研鑽会をやっている間の子供預かりを心配していたようだが、事務室で子ども達5人は遊んでいた。
 学園出身の彼女たちは、一人は僕の長男と、もう一人は次男と高等部が同期だ。
 僕は彼女たちが楽園村に行ったり、その後の学園生時代の様子も少々知っている。
 楽園村に子供を送り、実際に運営している年代は「この年代なんだなぁ」と、時の流れと世代の移り変わりを感じてしまう。
 研鑽会が終わって帰る時に、僕がいる事務室を覗いて、壁に掛かっている写真を発見して「わぁ〜、懐かしい〜」と歓声。
        
 「この人○○ちゃんだ。」「この人2コ上よ。」「この人、ほら、あの人と結婚した○○ちゃん。」と指さして懐かしがる。
 確かに、この写真が撮られたのは、かれこれ20年近く前になるかも知れない。
 学園の高等部生が、タマネギ収穫が終わって、収穫したタマネギが吊されている前での集合写真だ。
 ここに写っている娘たちの笑顔がいいので、僕は今でも飾っている。
 もう古いから外そうかと思っても、なかなか外せない。