◇会の機関紙「けんさん3月号」編集
今週に入って、「けんさん3月号」の編集作業も大詰めになって、紙面づくりをお願いしているイワタさんと、各紙面のレイアウトや原稿量の調整や、そんなやり取りを実顕地に戻ってからも、ちょっと夜遅くまでパソコンでやり取り。
パソコンと携帯電話があると、どこでも仕事場になるから助かる。
以前はこんな時は、案内所に泊まり込みになることもあったのだが、案内所で紙面の修正個所を送信して、イワタさんが作業している間に僕は電車に乗って帰宅して、食事をしながら修正版の送られるのを待つ。
送信されてきたものをチェックしている間に、きっとイワタさんは自宅で食事をしたり、風呂に入ったりして、僕の返事を待っているのだろう。
そんなことを、一昨日と昨日の夜にやっていて、ブログまでの気持ちの余裕がなかった。
◇高田馬場の〝神田川〟
今朝は暖かい。春の到来を感じさせる。
編集も一段落したので、気分転換に朝一番で散髪に行く。
いつも散髪をお願いしている理容店は、神田川から10mと離れていない。
9時開店までに10分余裕があったので、春の訪れを感じながら神田川を眺めていた。
僕はこのあたりが、かの有名なフォークソング『神田川』の歌が生まれた場所だと信じている。
南こうせつが歌っているが、作詞した喜多条忠はこの近くに下宿していたと聞いた。
そこの「三畳一間の小さな下宿」から「横町の風呂屋」に行ったわけだが、案内所から5分もかからないところに、今は廃業してないが、よく僕が利用していた「風呂屋」が10年ほど前まではあった。
僕はある時、顔なじみになった番台のおばさんに、
「〝神田川〟って歌に出てくるお風呂屋って、おばさんのところ?」と、一度聞いたことがある。
おばさんは「そうだといいんだけどねぇ〜、この辺ってお風呂屋さんが結構あったから・・」と肯定はしなかったけれど、僕は、そこのお風呂屋の入口で、濡れた髪の若い女性が肩をすぼめて彼氏を待っていたのだと信じている。
僕はこの『神田川』を初めて聞いたときに、
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった
このフレーズに、何とも言えぬ共感というか、揺れ動く心情表現に衝撃を覚えたことを記憶している。
僕も若かった。
いま聞いても、ほんとうに名曲だと思って、曲が流れると一緒に口ずさんでしまう。
◇梅の花
午後、郵便局に行った帰りに、梅の花を見つけて立ち止まってシャッターを切った。
高田馬場も駅前からちょっと離れた路地に入ると、庭先や垣根の上の、白梅や紅梅を楽しむことができる。
梅の花はもう散りかけて、春を告げる次の花にバトンを渡そうとしている。