出張の機内で読んだ『銀河鉄道の夜』

 今回のモンゴル出張には、出張先での夜や朝は仕事の準備もあるだろうし、滞在も短期間だし、手荷物も重くしたくなかったし、何となく機内で読み返すのもいいのではないかと思って、カバンの中に文庫本・宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だけを持って出かけた。

 そんなことで、行きと帰りの機内で一度づつ『銀河鉄道の夜』を読み返す。
 ほんとうに『銀河鉄道の夜』という童話は不思議な読み物だと思う。
      

 読み返すたびに、この言葉(台詞)の中に、賢治は何を伝えようとしたのだろうかと、新たな発見があって、またまた、考えさせられる。

 例えば、帰りの機内で読んだ時には、この箇所が心にとまった。
 ◇蝎がいたちに追いかけられて井戸に落ち、溺れはじめた時に、
 『ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、
 そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。
 それでもとうとうこんなになってしまった。
 ああなんにもあてにならない。
 どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。
 そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
 どうか神さま。私の心をごらん下さい。
 こんなにむなしく命をすてずどうかこの次には
 まことのみんなの幸(さいわい)のために
 私のからだをおつかい下さい。』

 みんなの幸(さいわい)とは何か、そのための私の生き方とは何か。死とは・・・と、賢治は僕たち読み手にテーマを投げかけてくる。