旧白洲邸『武相荘』を訪れる

 先週末と今週水・木曜日と三重への出張があったり、機関紙「けんさん」の編集や校正など、慌ただしく過ぎた一週間で、ちょっと頭の方も疲れたのか、朝起きた時にモチベーション低下を感じる。
 こんな時は、気分転換が大事だというのを僕は知っている。
 僕の気分転換法には幾つかの方法がある。
 例えば、散髪をする。異空間に身を置く。ひたすら頭の疲れと同程度に体を疲れさせる。
 今日は、この3つを実践する。

◇先ず、散髪をする。
 今日は土曜日の休日で案内所も僕一人だ。月曜日に学園で育った若者から「相談がある」と電話で連絡が入っていたが、彼との約束した時間は午後1時だ。
 朝、いつもの散髪屋さんの開店に合わせて9時に散髪に行く。
 この散髪屋さんは、高田馬場情報をハサミを使いながら話してくれる。それも楽しみで、ここを馴染みとしている。
 
◇旧白洲邸『武相荘』に寄る。
 白洲次郎白洲正子が暮らした旧白洲邸『武相荘』は、僕が毎日通勤で使う小田急線の沿線にある。前々から一度は参観したいと思っていたし、先日も新聞で紹介されていた。
 そんなことで、夕方早めに案内所を出て、小田急線の「鶴川駅」で降りて『武相荘』に寄った。
          
 白洲次郎は、農家を買い取り、ここに居を構えたのが昭和17年。
 僕が、白洲次郎に興味をもっているのは、彼が英ケンブリッジ大クレアカレッジ留学で身につけたと言われる「カントリー・ジェントルマン」と「プリンシプル」という生き方
          
          
 母屋は茅葺屋根の農家だが、中に入ると和洋折衷の居間だったり、隠居部屋が白洲の書斎になったりしていた。(残念ながら室内は撮影禁止)
          
          
          

 白洲の実践した「カントリー・ジェントルマン」
 英国の貴族は地方に住みながら政治に目を光らせ「いざ鎌倉」という時には中央に出て施政者をただすらしい。白洲は終戦直後、占領下の日本で吉田茂の「懐刀」と言われ活躍しながらも、職業政治家になって表舞台に出ようとはせず、展示してあった遺書には「葬式無用、戒名不用」と2行だけ書かれていて、最後まで、これに徹したらしい。
 もう1つの「プリンシプル」という生き方は、自分の信じる原則に忠実であること、筋を通すことらしい。

         
 白洲が17歳の時に父親に買ってもらったというアメリカ車・1916年型フリートウッド製5座席ツーリングカーの同型車も展示してあった。


◇我が家・多摩実顕地まで歩く。
 『武相荘』を出て、小田急線の駅まで戻ろうかと思ったが、地図を見たら多摩実顕地まで歩けない距離でもなさそうだと思って、思い切って歩き出す。
 歩きながら、手袋を取って、マフラーを外して、ジャンパーを脱いで、結局1時間10分で我が家・多摩実顕地に着いた。ちょっと長い距離だった。
 帰宅して着替えをしたら、下着が汗で濡れていた。