3月3日・ひな祭り

 今日3月3日の日曜日は、朝から雨。
 ファーム町田店のスタッフに来客の状況をみて入ったり、会の新聞「けんさん」の編集をしたり、ちょっとのんびりしたり、そんな一日だった。

 

◇ひな祭り

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 今日の我が家の夕食は、ひな祭りご馳走だった。

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◇今朝の朝日新聞朝刊の「折々のことば」
 今朝は、白洲次郎の奥さんで随筆家の白洲正子さんの言葉だった。

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  この、「衣は外見を演出するものでなく心を容(い)れるもの。」この言葉、この気持ち、いいなあ~。

 

◇ついでに旧白洲邸『武相荘』のこと
 白洲次郎白洲正子が暮らした旧白洲邸『武相荘』は、僕が毎日通勤で使う小田急線の鶴川駅近くにある。
        
 白洲次郎は、農家を買い取り、ここに居を構えたのが昭和17年。
 僕が、白洲次郎に興味をもっているのは、彼が英ケンブリッジ大クレアカレッジ留学で身につけたと言われる「カントリー・ジェントルマン」と「プリンシプル」という生き方。
        
        
 母屋は茅葺屋根の農家だが、中に入ると和洋折衷の居間だったり、隠居部屋が白洲の書斎になったりしていた。(残念ながら室内は撮影禁止)
        
        
        
 白洲の実践した「カントリー・ジェントルマン」とは、
 英国の貴族は地方に住みながら政治に目を光らせ「いざ鎌倉」という時には中央に出て施政者をただすらしい。白洲は終戦直後、占領下の日本で吉田茂の「懐刀」と言われ活躍しながらも、職業政治家になって表舞台に出ようとはせず、展示してあった遺書には「葬式無用、戒名不用」と2行だけ書かれていて、最後まで、これに徹したらしい。
 もう1つの「プリンシプル」という生き方は、自分の信じる原則に忠実であること、筋を通すことらしい。
        
 白洲が17歳の時に父親に買ってもらったというアメリカ車・1916年型フリートウッド製5座席ツーリングカーの同型車も展示してある。