三重出張から東京に戻る

 昨夜は豊里実顕地に宿泊して、朝、研鑽学校に移動して研鑽会に出席し、11時の高速バスで名古屋に出て、新幹線で東京に戻る。
 新幹線から望む今日の富士山。
    

 案内所には2時半に到着。
 出張中に空き時間でやっていた機関紙「けんさん」編集の整理をしたり、編集メンバーのサユリさんと、豊里実顕地から持ち帰ったミツグさんにお願いして描いていただいた1面掲載の絵を検討したり、案内所に届いていた写真やカットをデータ化したり・・。
 夕方、紙面製作のイワタさんと連絡をとり、現時点で揃っている原稿の紙面を確認して、最終紙面製作をお願いする。
 出張から帰ってからでは、今日の予定編集作業が遅くまでかかると思っていたが、意外に早く済んだ。
 残りの原稿は月曜日になる。そんな訳で編集作業もちょっと中休み。
 明日からの週末、土曜、日曜は、栃木県の大田原農場で、関東の男性会員有志で栽培し収穫した蕎麦による「蕎麦打ち」企画が那須実顕地である。それにも無事参加できそうだ。
 帰宅の途中、まだ書店が開いている時間だった。
 昨日、携帯メールに集英社からメールマガジンで、北方謙三著「楊令伝・7巻」文庫が発売された知らせが届いていたので、帰りに書店に寄って買う。
         
 帰りの電車で読み始めると、
『人がなぜ生きて、なぜ闘うのか、俺は俺で考えた。おまえたちも、考えろ。兵たちにも、考えさせろ。答えは、それぞれの胸の内にあればいい。自らへの問いかけを忘れなければ、人は、誇りを失わずにいられるものだと思う』
 混濁の世をただすために集まった梁山泊の頭領・楊令が指揮官たちに語る、こんな言葉が5ページに出てきた。
 このような、含蓄ある言葉を北方謙三は登場人物に所々で語らせる。それが北方小説の魅力の一つなのだと僕は思っている。