夕刊を読んで原発事故の「心の汚染」を考える

 
 今朝、屋上から眺めた丹沢の山並みにも秋の深まりを感じた。
  

 今年も残すところ1ヵ月半。
 今日の夕刊記事に「正月飾り 制作中止も」こんな見出しの記事が載っていた。
            

 記事によると、福島県内では地元のわらを使った門松など正月飾りの制作を取りやめる動きが出ているという。
 記事の中に、妻の生まれ故郷(福島第一原発から80Km)の事も載っていた。
 「白河・西郷広域シルバー人材センターでは、屋内に飾る50センチほどのミニ門松を毎年約800個販売しているが、今年は制作を取りやめた。わらは農家から譲り受け、土や松も地元のものを使用。センターに登録しているお年寄りらの人づてで買ってもらうことが多かったという。」
                       

 白河市西郷村と言えば、汚染牛肉問題が発生したときに、その原因が、なんと有機栽培の米農家のわらが放射能汚染されていたと大騒ぎになったところだ。
 その汚染牛肉問題の時には、過疎化するふるさとの農業を守り維持しようと、有機栽培米に活路を見いだしたばかりの同胞の心情を察して心を痛めたが、今回の記事では「お年寄りの生きがい」となっているであろうシルバーセンターの活動に支障をきたしていることに心が痛む。

 2、3日前の新聞にも
 福島第一原発の30Km圏内の川内村に住む、作家であり音楽家の〝たくき よしみつ〟氏が、土壌汚染が東電や国の補償ということで進められているのとは別に「怖いのは心の汚染だ」と書いていた。
 たくき氏は「農業に限らず、人の営みは〝生きがい〟によって支えられている。秋元さん(地元の農家)のコメも彼の〝生きがい〟によって育てられた。いちばん怖いのは、人々の生きがいやプライドを金に換えてしまう〝心の汚染〟だ。」と述べている。
 人は〝生きがい〟があるから、生きること、生き続けることが出来ると、ほんとうに僕もそう思う。

 たくき氏の記事を読み、そして今日の夕刊の記事を読んで
 我が故郷・福島の問題は、いまマスコミで連日取り上げられている「土壌除染」だけではなく、このような一面もあると改めて考えてしまった。
 シルバーセンターの老人達も含めた福島の人達に忍び寄る「心の汚染」。それは次代を担う子ども達には、今後、どんな「汚染」として現れるのか。
 この状況を前に、何が、僕たち大人にできるのか。
 それを考え込んでしまう。