◇9月25日(日)やっとモンゴルに到着
24日出発の飛行機は操縦席左横の窓の破損で、その修理と飛行可能かどうかの修理後のチェックに時間がかかり、結局、予定フライト時間を26時間遅れで、25日の午後3時半に成田空港を離陸した。
ちょっと心配だったが、雲海の上を順調に飛行。
ウランバートルのチンギスハーン空港には現地時間夜8時(日本時間9時)に無事到着。
空港にはゲレルマさんの弟・ガンゾルグ君と親友・ジャブザーさんが迎えに来てくれていた。ジャブザーさんは印刷会社女性社長で2月に来日しているので顔見知りだ。
日程が丸1日遅れたので、ウランバートル市内には入らず、空港から50Km先のバイヤンチャエンダマン市の農場に直行する。
今の日本では考えられないようなガタガタ舗装道路(これでも高速道路料金を払う)を約1時間走って農場に9時半に到着。それにしても暗闇のガタガタ道路を遅いトラックを追い越しながら、対向車を避けながら走るドライブは、助手席に乗っていると冷や冷やものだ。
気温は10℃くらいだろうか。空は満天の星。天の川がよく見える。
農場では、ガンゾルグ君の奥さんのウレーさんが羊肉入りボーズを作って待っていてくれた。第一回特講受講のバヤルサイハン君もいるし、農場の山羊や羊を世話している第三回特講受講のソルダーさん家族も迎えてくれた。
11時頃、7月に来日してヤマギシの村を参観したバイヤンチャエンダマン市の市長が、第三回特講を受けた息子さんを連れて駆けつけてくれる。
「肉を焼いて待っていたので、少し付き合って欲しい。」と言うので、草原を車で10分ほど走って、市長の友人宅らしいゲルに案内されて、金串に刺して焼いた牛肉をご馳走になる。日本の牛肉と違って何とも歯応えがある肉だ。
12時半過ぎ農場に帰り、1時過ぎ(日本時間は深夜2時過ぎだ)に就寝。
◇9月26日(月)農場滞在
農場の朝
昨夜、遅く到着したので、朝起きて農場を散策。
10時から、市役所そばの職業専門学校の庭で新しく作る公園の「植樹式」があるのでと市長に誘いを受けて行ってみた。
この専門学校は韓国の専門学校も投資していて共同運営らしい。「植樹式」にも韓国のビジネス共同基金(?)のようなところが援助して植樹をするとのことで、韓国の国会議員や環境関係の人たちが参列していた。
どうも、韓国はこのような支援をしながら、モンゴルでのビジネスチャンスを探している様子。
市長は新しい公園の名前を「愛の公園」と名付けた。来日時の三重のヤマギシの村訪問の途中で立ち寄った浜名湖SAの「恋人の聖地」をヒントにしたと言う。
午後、7月に市長と一緒に来日した土地計画担当・エレデネバラル君が副市長を連れて農場に来る。
近くの馬を主に飼育している遊牧民のゲルを案内してくれた。
若い夫婦が馬の乳を搾っていた。
ゲルの中に馬乳酒を作るという牛の皮で作った袋があった。毎日何百回と、ゲルの出入りの度に掻き混ぜると美味しい馬乳酒が出来るという。
夜は、ガンゾルグ夫妻とこれからの事を話し、その後、明日のモンゴル国立科学技術大学での公開講座で話す内容の準備をする。
◇9月27日(火)モンゴル国立科学技術大学で公開講座
農場を朝出発して、ウランバートルに昼前に到着。相変わらずウランバートルの交通事情は渋滞で凄い。
午後2時からモンゴル国立科学技術大学での公開講座(90分)でヤマギシ会の活動説明と東日本大震災の話をして欲しいとの要請があったので、1時半に大学に行く。
社会学部の学生たちが約60人と教員が数名、集まってくれた。
約1時間、ヤマギシ会の事、震災の事、原発事故の事などを話す。その後、質疑応答。
社会学部の教授からはヤマギシ会の考え方に興味があると、さらに心理学の学生からは震災後の日本人の心理状態に関心があることなど意見が出された。
公開講座後に、副学長と約20分の懇談。
夕方からウランバートルは雨。急に寒くなった感じがする。
渋滞の中で見つけた面白い車。日本で使用していた車をそのまま使っている。
また、旭鷲山の経営するビルも見かけた。
◇9月28日(水)「海外友好団体」受賞
朝、起きたら雪だった。写真はホテルの窓から。
10時に、今回のモンゴル訪問の目的の一つの「海外友好団体」受賞のためにウランバートル市役所の中にある人民党本部に向かう。
今年はモンゴル国建国90周年で、その記念行事の一つに海外で活躍しているモンゴル人と、モンゴルに友好的な海外の団体を表彰した。その中に日本で働くゲレルマさんとヤマギシ会が入ったのだ。
人民党は政権与党で昨年まで人民革命党と言っていたが改名して人民党となったらしい。迎えてくれたのは幹事長と議会副議長。
約1時間ほど懇談して「海外友好団体」受賞のメダルと大統領サインの賞状を頂き、その後、近くのホテルレストランで歓迎の昼食会。
1時過ぎにウランバートルから北に400Kmほど先の鉄鋼業で栄えている都市・エレデネト市に向かう。運転はガンゾルグ君で、ゲレルマさんと僕と、ゲレルマさんの親友の科学技術大学の数学の教授も同行で4人の旅だ。
緑の草原でなく、白銀の草原の中を、途中何度も故障車やスリップして立ち往生の車を避けながら、延々と北に向かう。
夏場ならは6時間らしいが、雪の中だから8時間はかかるだろうと予想して出発したが、何と着いたのは夜の10時だった。
◇9月29日(木)モンゴル第一の工業都市・エレデネト市で
エレデネト市は、ウランバートルのようなスモッグもなく車の渋滞もないきれいな街だ。
モンゴルで一番大きいというて鉱石採掘会社の付属専門学校を訪問する。
昨年の8月に来日して多摩実顕地にも宿泊したゲレルマさんの大学時代の親友・ミチコさん(モンゴル名が覚えにくいので多摩実顕地ではそう呼んでいた)が、この学校の教授をしている。専門学校と行っても国立科学技術大学と提携して大学同レベルの企業内学校らしい。
ミチコさんは、鉱石採掘会社の自主活動「社会づくりグループ」の顧問もしている。今回のモンゴル訪問を機会に、ぜひ、このグループにヤマギシの社会づくりの考えや活動を紹介して欲しいという要望で、ここの訪問となった。
訪問した学校では、学長がロシア出張ということで、副学長が迎えてくれて約30分の懇談。
その後、「社会づくりグループ」を統括している副工場長兼人事部長と各職場の社会づくりグループリーダーと懇談。
ミチコさんは、まだヤマギシの特講は受講していないが、ゲレルマさん達がやり始めた特講を「社会づくりグループ」の活動に役立つのではないか、ヤマギシがやっている楽園村にメンバーの子供たちを送り出せないか、など具体的意見を投げかける。ミチコさんが来日した同時期にモンゴルから3名の子供が春日山楽園村に参加し、その感想も聞いていたし、また、多摩実顕地に宿泊する中で感じることもあって、このような「社会づくりグループ」との懇談を設定してくれたのだ。
人事部長は、人材育成という観点からヤマギシの特講に興味を示す。若手のグループリーダー達も「心の在り方・本当の幸せ」などに興味深々。
この工場は男性が70%。そのバランスを取るために街の中に国営で女性が働く絨毯製造工場があったが、今は民間経営になって合理化され、女性が少なくなって、街全体のバランスが崩れているという悩みも出されていた。
懇談後、鉄鉱石採掘現場を案内してくれた。
露天掘りの鉄鉱石採掘だ。200m山を堀り崩したが、あと地下1000mは掘れるだろうとのこと。このような鉄鉱石の山があと3つあるという。
帰り際に、定年退職をした人達のグループ(日本で言う企業OB会)の事務局長をしているミチコさんの義理の父親と懇談。定年後の生きがいを求めて活動をしていると言う。
写真は「社会づくりグループ」が活動のシンボルとして作ったという街の入口のモニュメント。その前でミチコさんと別れてウランバートルへの帰途に就く。
帰りの道は、今日の天気でほとんど雪が解けて快適なドライブ。
昨夜、10時間かかってエレデネトまできた甲斐があったと、心地よい満足を感じながら、ガンゾルグ君の運転に身を任せて、雪景色を満喫。
ウランバートルには夜8時半に到着。
◇9月30日(金)会員交流会
11時から会員交流会。モンゴル人で特講を受けたのは60人を超した。今日の交流会には、そのうちの23人が集まってくれた。
日本でのヤマギシ会の活動を報告して、東日本大震災の支援の報告をして、その後、それぞれに特講や研鑽学校を受けてみての現在の心境を出してもらう。
夕方、帰国の準備をしていたら、第一回特講の時の最年長のダワーさんと、昨年、春日山実顕地の楽園村に参加したムンクチン君が会いに来てくれたし、9月から多摩供給所のアパートに住んで、多摩実顕地の近くの桜美林大学に留学しているダワー君の両親が訪ねてくれて、その後、昨年の7月に来日して多摩実顕地に宿泊したシズコさん(ミチコさんと一緒に来日、多摩実顕地のメンバーはモンゴル名でなくこう呼んだ)が会いに来てくれた。
さらに、8時少し前には7月に岡部実顕地を夫婦で訪問したハラホリン市のオトゴンスレン市長が、出張帰りに空港から駆け付けて会いに来てくれた。
今日は、会いたいと思っていたみんなの元気な顔を見られて、胸が熱くなるほどうれしい一日だった。
明日は、4時半にホテルを出発して6時55分発の飛行機に乗る。
◇10月1日(土)無事帰国
ウランバートルからの飛行機は満席。12時、無事成田空港に到着。