28日夜・映画『まほろ駅前多田便利軒』を観る

 朝出かけに、妻から「観たい映画があるの、今日の夜は訪問介護の仕事がないから、付き合って」と言われて、案内所からの帰宅時に小田急線の新百合ヶ丘駅で途中下車し、妻と6時半に待ち合わせして『まほろ駅前多田便利軒』という映画をみた。
 『まほろ駅前多田便利軒』は、三浦しをんが29歳の時に直木賞を受賞した同名の小説が原作である。それを大森立嗣(僕は彼を俳優と認識していた)が脚本・監督をして作った映画である。
 この原作(小説)が、僕が住んでいる町田市が舞台になっているし、映画化にあたっても町田が実際にロケ地になっているのを何かで読んだことがあったから、観てみたいというのは僕にもちょっとあった。

 東京郊外に位置するまほろ市(町田市)の駅前で便利屋を営む男のもとに、ひょんなことから出会った同級生の男が転がり込んでくる。この2人の主人公を演じるのが瑛太松田龍平
 2人は表面上はぶつかり合いながらも、妙な距離と関係を装い保ちながら、ワケありの客たちと出会い、淡々と、そして複雑に絡み合いながら、夜逃げあり、麻薬がり、ストーカーあり、破壊した親子の関係あり、そんな客たちの人生に深くかかわりながら物語は進んでいく。
 そして、実はこの主人公の2人にもワケありの重い過去があり、それを引きづり、半ば人生に諦めながらも生きるといった重いテーマの映画である。
 しかし、それぞれが重いテーマを持ちながら「生きていく」という切なさの中に、それでも「生きるということの幸せ」を、映画を観終わってからじんわりと感じさせる不思議さ、登場人物が発する台詞一つ一つが、とても大切に、ていねいに、心に響く映画である。
 これは、原作の三浦しをんの創作技法なのか、それとも映画化にあたっての大森立嗣監督の手腕なのかと興味の湧く映画であった。そして、瑛太松田龍平の演技もなかなかのものだった。
 暫くぶりで、妻と映画を観る時間を共有できたというのもあるが、三浦しをんの原作をちゃんと読んで、三浦しをんや、大森立嗣が表現しようとした「生きるということの幸せ」をちょっと考えてみたいと興味がわいたことが、昨夜の収穫かもしれない。