同年代の訃報に接する今日この頃

 土曜と日曜は、埼玉県のヤマギシの村・岡部実顕地で「春のつどい」に参加して、桜咲く下で、懐かしい人たちにお会いできた。

    

 その中で話題になった2人の友人。
 一人はちょうど1年前の桜が咲いた頃に、突然亡くなった岡部実顕地住人のヤマモトさん。
 もう一人は、岡部などの実顕地企画などで、黙々と、そして確実に準備を進めてくれて、当日はカメラで記録を残してくれていた、2年前に突然他界したイズミダさん。
 2人とも、70歳前の享年だった。

 

 先週水曜日は、大動脈解離でアッという間の旅立ちをした、僕と同い年のヨウコさんの通夜だった。
 彼女とは、20数年前には「楽園村展覧会」のパネル展示や、「学園ミュージカル・農が好きだ」の東京公演や、その後、会の機関誌「けんさん」の編集を長く一緒にやった仲間だった。

 

 最近、元同僚や知人友人の訃報に接することが多いのだが、僕たちと同年代の著名人の訃報も続く。
 作家の大江健三郎さんに次いで、楽家坂本龍一さんが71歳で亡くなった。

    

 そして今日の朝刊には、この坂本龍一さんの追悼記事の下に、評論家の芹沢俊介さんが80歳、小浜逸郎さんが75歳。そして映画監督の黒土三男さんが76歳で亡くなったと訃報が載っていた。

    


大江健三郎さん
 僕が20歳の頃、大江健三郎の作品をよく読んでいた。
 昔、川崎市で社会人になった僕は、「ぼけの会」という文芸同人サークルに入っていた。10日、20日、30日のゼロのつく日の夜に例会があって、毎回、誰かがいま読んでいる作品の感想を述べて話し合うということをしていたのだが、僕は大江健三郎の初期の作品『芽むしり仔撃ち』と、次の回は芥川賞の『飼育』を取り上げたことを、今でも覚えている。

 

坂本龍一さん
 今日の朝日デジタルに追悼記事がアップされていた。
 がん闘病の経験がある朝日新聞の山内深紗子記者のインタビュー坂本龍一さんが語った死生観 がんで号泣…痛みに弱いから行動できた」というタイトル。
 坂本が62歳の時に中咽頭がんを経験した後、記者の「自分を苦しめるこのがんとは何なのか」という問いに、坂本は理知的に本やネットで情報を集め、知見のある人に聞き、被災地で出会った津波にのまれたピアノを思い、自らの体内で起こった異変を感じて出した〝がんの究極の原因〟は「生きていること」なのだと答え、「このがんが消えても、別のがんにかかるかもしれない。それは受け入れざるを得ないのだと、1年間かけてそう思うようになりました」と答えている。
 そして、音楽活動にとどまらず、憲法、平和、反原発、環境問題と、人間や生きとし生けるものを「痛めてはいけない」と発言し、国会議事堂前のデモに参加するなど常に行動し続けたことを、記者は「自らの痛みだけではなく、他者の痛みにも敏感なのだと思った」と感じて、それを尋ねたら「私も若い頃はやんちゃで人の心も傷つけたこともある。でも年を重ね、がんも経験して、痛みがよく分かるようになった。そして子ども世代のためにと考えるようになりました」と答えたという。

 

芹沢俊介さん・小浜逸郎さん・黒土三男さん
 芹沢俊介はいろいろな社会現象について評論していたのを読んでいたし、小浜逸郎の『なぜ人を殺してはいけないのか』は本棚に今もあるし、黒土三男監督の映画『蝉しぐれ』は藤沢周平原作の時代映画だが、いい映画だったと今も記憶に残っている。