紫陽花(アジサイ)の季節になってきた

 

   はなやかに見えてあじさい手にとればひとつひとつの花の寂しさ  志のぶ

 

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 今年も紫陽花が咲きだした。
 かなり前にもこのブログに書いた記憶があるが、この時期になると、僕は「山下しのぶ」というおばさんを、母を想うような感覚で思い出す。

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 僕が、T電機会社に就職して独身社員寮に入った時の管理人(寮母)が、このおばさんだった。当時は「しのぶさん」と僕たち寮生は呼んでいた。
 しのぶさんは、満州から引き上げた後、女でひとつ2人の男の子を育て、息子達が成人した後に、寮の住み込み管理人として生計を立てていたのだ。明るく、ちょっと気品の感じる面倒見のいいおばさんだった。

 日曜日の朝に洗濯して干したまま忘れていると、月曜日に取り込んでくれて部屋に畳んで置いてくれたり、11時の門限に遅れても塀の脇から入れるようにしておいてくれた。僕たちはしのぶさんの怒った顔に出会ったことがなかった。
 日曜日などに出かけないで部屋にいると「わたし、ちょっと出かけたいの、わたしの部屋で留守番していてくれる、会社に内緒よ。」と言って、出かけるような管理人だった。

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 そして、そのしのぶさんは歌人でもあった。
 その後に寮が変わっても親しくお付き合いが続いていたので、結婚の報告をしたら、まるで母親のように喜んでくれて、自作の短歌を額に入れて、お祝いとしてプレゼントしてくれた。それが冒頭の歌である。

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 僕たち夫婦は、この額を部屋に結婚以来ずうっと掛けている。
 人は「寂しい歌ね」と言う人もいて、結婚祝いに戴いたというと首を傾げる人もいたが、僕たちはとてもいい歌だと思っている。

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 しのぶさんは、僕が会社を辞めてヤマギシに来る10年ほど前に、定年を迎える年齢となって寮の管理人をやめて、「おばあちゃん」となって息子さんと一緒に生活を始めた。
 その後も、しのぶおばあちゃんからは、出版された歌集が送られてきたり、年賀状は欠かさずやりとりしていたし、妻は電話で時々話をしていたようだったが、その後、90何歳かで永眠されたと息子さん(実は有名な脚本家なのだが)から葉書が届いた。

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  そんなことで、僕たち夫婦は、紫陽花が咲く、今の季節になると「しのぶおばさん」を思い出すのである。