花にまつわるおしゃべり〝椿〟

 肌を刺すような寒さの中でも、凛として咲き誇っている椿に出会うと、その美しさに足を止めて見入ってしまうことがある。
 そんな椿を見ると思い出すことがある。
      

 僕がT電機に就職して社会人になった時、僕は川崎市にあった、それ程大きくない男子寮に入った。
 その寮の管理人夫婦はタキザワさんと言った。
 僕たち新入寮生の面倒を見てくれたのがタキザワさんの奥さんで、僕たちはその人を〝タキザワのおばさん〟と呼んでいた。
 タキザワのおばさんは、ある新興華道流派のお花の先生もやっていた。
 社会人になったばかりで、日曜日に行くところもなく過ごしている僕たちを見つけて、時々、タキザワのおばさんから「暇なら手伝ってよ。」と、華道展の出品準備に駆り出されることがあった。
 大物の作品展示は、脚立を使ったり、鋸で枝を切ったり、バケツで水を運んだりと、何かと男手が必要なことがある。
 そんな手伝いを3、4度していると「お花代だけでいいから習ってみる?」と誘われて、僕と同室のS君は、月に2度ほどだったと思うが、タキザワのおばさんの華道教室に顔を出す羽目になってしまった。
 「お花なんて女がするもの」と思っていたが、タキザワのおばさんの口車と言うか、おだてに乗ってやり続けると、不思議なもので面白くなった。
 一年ちょっとやった頃には、花材を見て、自分なりにイメージを膨らませて、活かす枝や葉が見分けられるようになって、迷うことなくハサミを使えるようになると、ますます面白くなった。
 そんなことで、殺風景な男子寮の部屋に、場違いのように花だけが生けられていた。
 一年半ほどが過ぎた時に、東京のどこだったか記憶は定かではないが、タキザワのおばさんに連れられて流派の家元のところに行った。
 訪れた家元の屋敷には、築山風の庭があって、いろいろな椿の花が咲き誇っていた。
 椿は散る時に花がそのまま落ちるところから、あまり縁起がよくないと言われて挿花の花材には使われることが少なかったらしいが、その家元は、椿を好んで生けることで有名だった。
 庭いっぱいに咲いている椿は、主が好むだけあって、確かに見事だった。
 そこで僕は、数段階ある免状の一番最初のものをいただいた。表札ほどの大きさの木札に墨で書かれた、何と読むのかは定かではないが〝更直〟という名前ももらったのだが、そのために、僕の一ヵ月の給料ほどの額のお金を納めた記憶がある。
 その後は、仕事も忙しく残業も多くなり帰寮時間も遅くなったし、タキザワのおばさんも管理人をやめて、近所ではあったが家を建てて引っ越したし、次の段階の免状取得には、僕の給料の何倍ものお金が必要だったし、そんなことで、好奇心と出来心で始めた華道教室から足が遠のいた。
 もう40年以上も前のことで、それ以降は自分で花を生けたことはないし、今は花材を前にしても生ける自信はない。
 いただいた免状と名前が書かれた木札も、押し入れの中のアルバムが入っている段ボールの中にあると思うが、ここ何十年も見ていない。
 今は、誰かが生けた花を観賞するだけだ。
           
 寒い中で、凛と咲く〝椿〟に足を止めた時、時々、僕は昔行ったその家元の庭に咲き誇っていた〝椿〟を思い出す。