小説『 荒仏師 運慶 』と上野の『 運慶展 』

 現在、上野の東京国立博物館で「運慶展」を開催している。
         


◇その「運慶展」に行く前に、運慶という仏師がどういう時代に生き、どんな環境の中で作品を作ったのか、「運慶展」観賞の予備知識的動機で読んだのが、梓澤要著『 荒仏師 運慶 』だ。
         
 「運慶」とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての激動の時代に活躍した天才仏師である。 
 当時の仏像造りというのは、個人の技もあるが、棟梁を中心とした職人工房集団の技術集合体で優れたものを作っていた。
 彼らは、互いに切磋琢磨し、技を磨き、棟梁が描いた仏像を彫りあげていくのだ。
 奈良の仏師一門に生まれた彼は、幼い頃から父・康慶のもとで鑿を持ち、美しいものや仏に魅せられて、その仏師としての才能を磨く。
 平家、源氏、北条、足利と、その時々の権力者に翻弄されながらも、仕事の依頼は次々とあり、仏師としての技能鍛錬には恵まれていた。
 武士の社会に変わる時代での、運慶の写実性に富む作風は脚光をあび、父・康慶の後を継いで棟梁となって一門を統率しながら、「仏像を彫るということはどういうことなのか、」と、これでもかこれでもかと技の追求の日々。
 このもの物語は、そんな運慶の仏像づくりの一生を描いている。

 物語の読みどころは、「運慶の作品」一つひとつが、どのような背景から生まれ、運慶がどのような苦悩の中から彫りだし作り上げた仏像なのか。また、「御仏を守れ」と平家の焼き討ちのときに命がけで阿修羅像などの仏像を救い出す、さらに、その消失した仏像の再興造像に情熱を傾けるなど、それぞれのエピソードが、実にリアルに描かれている点である。 
 たとえば、彼が20代に初めて一人で彫りあげた「大日如来座像」では、一目惚れした傀儡女(くぐつめ)と言われる旅回り芸人女性の姿態を参考に彫ったことや、「八大童子立像」制作時には、寒い工房で息子達にポーズをとらせて下絵を描いたり、東大寺南大門の「仁王像」製作のくだりでは兄弟子・快慶とのライバル意識の中での軋轢など、「運慶作品鑑賞」においてイメージを膨らませるに十分満足できる予備知識となった。


◇「運慶展」に行く。
 場所は、上野の東京国立博物館
         
         
 混雑が予想されたが、平日の夕方が狙い目との情報を得て、夕方3時頃に行ってみたら、チケット売り場もスムーズ、入館も待ち時間少々。
         
 展示内容は、3章に分類されていて
   第1章「運慶が生んだ系譜−康慶から運慶へ」
   第2章「運慶の彫刻−その独創性」
   第3章「運慶風の展開−運慶の息子とその周辺の仏師」
 それぞれ展示されている作品は、実に見応えのある仏像群である。
 「あ、これがあの毘沙門天立像か、これがあの無著菩薩立像で、こちらが世親菩薩立像か、これが重源上人座像か」と、小説『 荒仏師 運慶 』の物語の場面をイメージしながら、じっくりと観賞した。
 また、運慶が仏像を生き生きとさせるために用いた「玉眼」の構造なども解説されていたり、音声ガイドの丁寧な観賞ポイントの説明もいい。
 それにしても、武士のように勇ましい顔立ち、力士の身体を参考にしたと想像できる筋肉隆々の体つき、腰のひねりや腕の上げ方など、今にも動き出すようなリアリティーあふれる表現は凄いの一言である。
 僕は、特に興福寺奈良県)の「無著菩薩立像と世親菩薩立像」、東大寺奈良県)の「重源上人座像」、金剛峯寺和歌山県)の「制多伽童子など八大童子立像」の前では、感無量といった感じで立ち止まり、観賞に時間を割いてしまった。 
 展示館内はもちろん撮影禁止。
 よって、館内でいただいた「朝日新聞・号外」に掲載されている写真を接写したものを、ここにアップして、その雰囲気を紹介する。