帰りに東中野ポレポレ劇場に寄る

◇雨上がりの風景
 今朝、屋上に上がったら、雨上がりの、緑が濃くなった芽吹いた林の風景が清々しかった。耳を澄ませば、ウグイスらしい鳴き声も聞こえた。
        
        

◇藤の花
 朝、案内所に行くときに、いつもは町田駅までバスに乗るのだが、途中まで歩いた。
 住宅街のあるお宅の庭の藤の花が見事に咲いていた。
        
        
        
 

東中野ポレポレで映画を観る
 ブログにチェルノブイリのことを書いたら、早速、友人から「東中野ポレポレで、チェルノブイリの映画をやっているよ」とメールが届いた。
 調べたら、明日までの特別上映なので、帰宅時に寄り道して観た。
 『31年目のチェルノブイリ』と題して、写真家の本橋成一さんが2002年に作った『アレクセイと泉』という映画と、本橋さんが今年の3月に映画を撮った村に再び訪れ、15年後の村を記録した映画だった。
          

 『アレクセイと泉』という映画は、
 ベラルーシ共和国の東部に位置するブジシチェ村を舞台にした記録映画だった。
 チェルノブイリ原子力発電所から180Km。原発事故で村は高濃度の放射能汚染に見舞われる。
 村は強制移住地域に指定され、ほとんどの住人は村を離れたが、55人の大半が60歳以上のお年寄りと、アレクセイという1人の34歳の若者だけが残り住み続ける。
 村には、ただ一か所、放射能が検出されない、綺麗な水を混々と湧出している泉がある。村人が「100年前の水」と呼ぶ、事故の遥か以前から地下を巡ってきた命の水だ。
 その泉の水を汲み上げながら炊事をし、自給自足的な生活する日常。
 農耕馬で畑を耕し、ジャガイモを収穫し、豚や鶏を飼い、森の中にキノコを採りに行き、凍てた川に網をかけて魚をとる。
 女たちは、泉の水で洗濯し、糸を紡いで機織りをして、収穫祭にはみんなで踊り、ウオッカを飲んで楽しむ。
 原発事故で汚染された村という背景を知らなければ、何世代に渡って大地を糧に営みを続けてきた生活は昔と変わらない。文明から離れた田舎の村の日常生活そのものだ。
 その映画の後の、本橋さんが15年後の今年3月に再訪した記録映画では、
 その村も今ではほとんどの老人たちもいなくなり、ただ1人の青年・アレクセイも町で暮らして、村には彼の老いた母親を含む3名になって、土地は荒れ果て、老人たちが森の木を切り倒して作り直した泉の枠も朽ち果てていた。
 上映前に、本橋さんが挨拶で触れていたが、故郷を失うということは、どんなことなのかを問う映画だった。
 老人たちと1人の若者の村の暮らしが、放射能汚染という現実を除けば、あまりにも日常的な記録なので、故郷を失う空しさ、切なさが、観終わった後にずっしりと胸に迫る。

 上映前に「このことを、忘れないために、この時期に上映しました」と挨拶する本橋成一監督。